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クルマ最終更新日:2017.06.04 公開日:2017.06.04

アカデミー賞作家ハンス・ジマーの音が疾走する、 F1レース映画「ラッシュ」の名サントラ

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ハンス・ジマーのスコアとボウイ他、時代のヒット曲を収めた「ラッシュ」オリジナル・サウンドトラック。ソニーミュージックから発売中。© Sony Music

 インディアナポリス500マイルレース(インディ500)で、佐藤琢磨が、優勝という快挙を成し遂げた。長年、海外で活動しオーバル初優勝を飾った佐藤、そして4勝目に賭けて2位でフィニッシュしたエリオ・カストロネベス。レース終盤にはマックス・チルトンとカストロネベスとの手に汗握る攻防戦もあり、観客は熱狂した。まさに、サーキットには、レーサーの人生というドラマが凝縮している。

F1レース映画の名作サントラ

 さて、佐藤琢磨初優勝を祝してというわけではないが、その熱狂の中である映画の名サントラを思い出したので、ぜひ紹介したい。
 その映画とは、F1レースをテーマにした「Rush ラッシュ╱プライドと友情」。ジェームス・ハントとニキ・ラウダという2人の伝説ドライバーによる熾烈な戦いとその人生を、ロン・ハワード監督が実話を元に映画化した作品である。ストーリーや映像も素晴らしいのだが、特にハンス・ジマーが担当した音楽が、レースの臨場感やレーサーの人生をエモーショナルに描いており、文句なしの傑作。ドライブミュージックとしても最高の一枚となっている。

 プレーボーイで自由奔放な性格、直感型な走りをするジェームズ・ハント。メカを熟知し冷静な判断力を備え、その走りはコンピューターと云われたニキ・ラウダ。火と水のごとく正反対のキャラクターを持った宿命のライバルが、富士スピードウェイでチャンピオン決定戦を競い合った劇的な1976年。F1レース史上、伝説といわれる年を映画は描いている。

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1984年のニキ・ラウダ(左)。76年の大事故の後遺症が顔に残っている。© picture alliance / Sven Simon。1976年のジェームス・ハント(右)。© picture alliance / Hartmut Reeh

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アカデミー賞受賞作家ハンス・ジマーがサントラを担当

 「ライオン・キング」「インセプション」「マン・オブ・スティール」「パイレーツ・オブ・カリビアン」など数多くのサントラを手掛けたアカデミー賞受賞作家ハンス・ジマーは、映像の展開や登場人物の心の動きに応じた細密なサウンドを作り上げることで、映画音楽を完全なる演出効果の一部として昇華させたといわれる作曲家・映画音楽制作者である。

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2016年にライブツアーを行った際のハンス・ジマー。© picture alliance / Geisler-Fotopress

ハント=ロック、ラウダ=電子音で演出

 ハンス・ジマーはラッシュのスコアにおいて、ジェームス・ハントをロックンロール、ニキ・ラウダをコンピューターの打ち込みによる電子音という分かりやすい形で表現している。
 名誉とお金、取り巻きに囲まれ一見幸せにみえるが、実は孤独で、最愛の人の愛を得られないハントの心情を、ジマーはギターの切ないビブラートで描き出す。音の魔術師といわれるジマーの手腕がいかんなく発揮されているシーンである。

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2017年のヨーロッパツアーでギターを弾くジマー。© picture alliance / Sebastian Willnow/dpa- Zentralbild / dpa

 グルーピーとの享楽的な生を愛するハントのキャラクターや、フリーセックス・反体制主義といった70年代ヨーロッパのモーターレーシングを取り巻く状況を、当時流行っていたロックやグラムロックの豪華なナンバーが飾っている。

 スティーヴ・ウィンウッド、ディブ・エドモンド、マッド、デヴィッド・ボウイ、シン・リジィら、ロック好きにはたまらない選曲である。

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1976年ミュンヘンで開催されたレーシングショーで、運転席に座るジェームス・ハント。© picture alliance / Hartmut Reeh

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ニキ・ラウダーとブロンドの女性。1984年のサーキットでのショット。© picture alliance / Sven Simon

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1976年、世紀のレースへ

 一方、正確なリズムを繰り返す電子音楽が、理性的で自己管理能力に優れたラウダの走行で用いられ、ハントとの対極性を際立たせている。

 そして2人が対決する世紀のレースでは、低音から入る重厚なシンセ音にギターが縦横にからみ、命かけてチャンピオンシップを競うレースが白熱していく加速感とクライマックス、そして全てが終わった後の余韻が見事にスコアとして完結している。

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1976年の富士グランチャンピオンレースは、雨が降る悪天候の中、決行された。© picture alliance / HOCH ZWEI

なぜ彼らにはF1が必要だったのか?

 「ニキ・ラウダとジェームス・ハントという2人の人間関係、特に心理が非常に稀で魅力的だと思った。F1を通して自分自身を追求しているというのか、人間として確立し作り上げていくというのか‥‥。自分を満足させるために、なぜ彼らにはこのスポーツが必要だったのか?そこに好奇心が沸いたんだ」。
 「ビューティフル・マインド」でアカデミー監督賞を受賞したロン・ハワードは、あるインタビューで、ラッシュを撮るにいたった経緯についてこのように述べていた。

 ハントとラウダが反発しあい、影響しあい、高めあい、至高の76年というF1史に輝く伝説が生まれた。映画を貫くこのテーマは、どちらかが正しいという次元ではなく、相反する他者や自分の中の矛盾と向き合いながら自己を高めていく生の営みそのものであるように思える。
 そして、このことはハンス・ジマー自身の人生にも当てはまる。

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日本での記者会見から。ラウダを演じた俳優ダニエル・ブリュール(左)、ハントを演じたクリス・ヘイズワース(中央)、監督のロン・ハワード(右)。© picture alliance / dpa

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ジマーの集大成たるサントラ

ロックンロールな日々

 ドイツの裕福な家系に生まれたジマーが、10代の時に最初に夢中になったのがスチールギターである。彼は、1979年「ラジオ・スターの悲劇」で大ヒットを記録したバグルスの全英ツアーにバンドメンバーとして参加する。

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バグルスのラジオスターの悲劇はMTVで最初に上映されたプロモーションビデオでもある。© picture alliance / Photoshot

 「イギリスの全てのサービスエリアを知り尽くすほど典型的ロックンロールな日々だったんだ」とジマーは当時を振り返る。
 その後、彼の音楽の関心と追求は、キーボードとシンセサイザーを使ったプログラミングへとフィールドを広げる。常に新しい試みを行いながら、映画音楽の分野で、細密に構築された音の演出で映像の情感を引き出す彼独自のメソードを確立し、ハリウッドの頂点にまで登りつめたのである。

生き証人ラウダからの言葉

 ハンス・ジマーの中にある相反する面、ギター少年時代と打ち込みの電子音楽、ロックバンド時代とシンセを使った映画音楽、ドイツ人的完璧主義とアメリカで培った開放的な感性‥‥彼自身の人生のカーブがラッシュのスコアに見て取れる。ジマーの音楽変遷をすべて織り込んだ集大成ともいうべき作品である。

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現在のニキ・ラウダ。© picture alliance / dpa

 レースを退いたニキ・ラウダは現在、故郷オーストリアで「ニキ・エアライン」のオーナーとして活躍している。ラッシュの試写会に現れた彼は「ハンス・ジマーがどんなに素晴らしい仕事をしたか分かったよ。度肝を抜かれたね。スタンディングオベーションの一部は彼のものだ。」とコメントを残した。
 76年の生き証人からの言葉は、ハンス・ジマーにとっての最高の賛辞だろう。モータースポーツ好き、クルマ好き、音楽好きなら、ぜひ聞いてほしい作品である。

2017年6月4日(JAFメディアワークス IT Media部 荒井 剛)

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