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最終更新日:2017.12.13 公開日:2017.12.13

ダイハツ・コンパーノ

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。半世紀の後、ショーに再登場「ダイハツ・コンパーノ」。

下野康史

イラスト=waruta

 子どもはモノを知らない。けれども、感覚は大人より鋭いかもしれない。

 子どものころ、妙にカッコイイと思っていたクルマが、ダイハツ・コンパーノである。ダイハツといえば、3輪軽トラのミゼットがおなじみだった「ALWAYS三丁目の夕日」時代、コンパーノ・ベルリーナは、クルマガキの小学生の目にも国産車ばなれして美しく、おしゃれに映った。ダイハツ初の乗用車を成功に導くために、デザインをイタリアのアルフレド・ヴィニヤーレに委嘱した、なんてことを知るのは大人になってからである。

 コンパーノ・ベルリーナは、797cc4気筒OHVエンジンを積む2ドアセダンとして1963年にデビューした。ヴィニヤーレのオリジナルデザインはその少し前に登場したバンボディで、上屋の後半部をベルリーナ(イタリア語で”セダン”の意)につくり変えたのはダイハツだったといわれる。のちに4ドアセダンや4座オープンのスパイダーが加わり、エンジンは958ccに拡大され、69年までつくられた。

 ベルリーナに乗った経験はないが、90年代に入ってから、フルレストアされた68年式スパイダーに試乗させてもらったことがある。1800台しかつくられなかった最もレアなコンパーノである。

 ラダーフレームの上に載ったオープンボディは、着座位置が高くて、あまり”スポーツカー”という感じはしなかったが、ラダーフレームだからこそ、屋根なしボディへの改造が容易だった。車重は775kg。同じパワートレインのセダンより20kgしか重くなっていないのも、応力をラダーフレームで引き受ける構造ならではだろう。

 三国ソレックスのシングルキャブを備え、65psを発する1リッターエンジンは、低いスポーツサウンドを聞かせて軽快に回った。排ガス対策に痛めつけられる70年代より、60年代のエンジンのほうが素直でよく回るのはありがちなことである。

 日本電装製のアナログメーターが並ぶダッシュボードは、60~70年代のアルファロメオを彷彿させる。試乗の前日に組み上がったばかりという虎の子の1台だったため、長い距離を走ることはできなかったが、後席を持つスポーティな「実用的オープンカー」という印象を受けた。

 ときは移り、今年(2017年)の東京モーターショー。ダイハツは”DNコンパーノ”というコンセプトカーを出展した。63年の東京モーターショーでベールを脱いで以来、54年ぶりのコンパーノ復活である。

 ダイハツオリジナル開発のホワイトナンバー乗用車を再び世に問いたい。そんなアピールが込められたコンセプトカーの隣には、初代コンパーノが置かれていた。いまやクラシックカーイベントでしかお目にかかれないクルマは、ダイハツ本社の営業スタッフが所有する64年式ベルリーナ800。なんとオーナーの家は親子二代のダイハツマンで、現役当時にデザイン部門にいたお父様から最近、引き継いだクルマだという。今回のモーターショーで聞いたいちばんイイ話でした。

コンパーノは1963年、手はじめに商用車のバンが登場。すぐに乗用車モデルのワゴンやベルリーナがラインナップに加わった。

翌65年には、オープン仕様のスパイダーや、トラックも発売。コンパーノのラインナップはさらに広がった

コンパーノ・バン1000のインパネは、商用車でありながら乗用車ムードがあふれる。平日は仕事に、休みはレジャーの足にと活躍したのだろう。

リアゲートは上下に分かれて開く。「コンパーノ」とは、イタリア語で「友達」を意味する。


文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)

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