クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

クルマ最終更新日:2018.07.17 公開日:2018.07.17

日産・初代チェリー

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。エンジンも、ハンドリングも傑出「日産・初代チェリー」。

下野康史

18M08oldcar_top.jpg

イラスト=waruta

 日産初のFF車が、チェリーである。1970年にまず4ドアのセダンが登場し、1年後に2ドアハッチバックが”クーペ”の名で加わった。その後、74年にフルチェンジした2代目が最後のチェリーで、系統的にはパルサーがそのあとを継いだ。と言えば、知らない人にもチェリーの立ち位置がわかってもらえるだろうか。

 初代チェリーのセダンも、ヒヨコのお尻のようなユニークな後ろ姿が特徴だったが、クーペはさらに変わっていた。テールゲートから後ろは極端に湾曲した猫背で、Jラインを描くサイドウィンドウ後方のリアクォーターパネルが大きい。そのため、運転席からの斜め後方視界は現金輸送車並みに悪かった。逆に言うと、そういうネガを承知で、カタチにこだわったクーペボディーだった。

 70~74年の新車当時、筆者はまだ運転免許のない学生だった。チェリーのステアリングを初めて握ったのは、90年代に入ってから。雑誌の取材で72年型1200クーペX-1を所有するチェリーオーナーズクラブの会長を訪ねたときである。

 黒いビニールレザーのシートに座ると、ハンドルがかなり寝ていて、イギリスのミニを思い出す。4段MTの長いシフトレバーは、動きがグニャグニャで何速に入っているのか、よくわからない。でも、しばらく走るうちに”進入路”が掴めてくる。すると、俄然、楽しくなった。

 チェリーのエンジンは、サニー用を横置きFF対応としたもので、1200X-1にはSUツインキャブレター付きの”A12″が搭載されていた。なめらかによく回り、耐久性にもすぐれた、名機の誉れ高いOHVユニットである。

 このエンジンが、すばらしい。”イーン”というギアノイズを聴きながらシフトアップしてゆくと、気持ちよく速い。ボディーはいまの日産マーチより幅も長さも20cm近く小さく、車重は690kgしかなかった。

 昔のFF車だと、ステアリングにとかく”癖”を感じさせることが多かったが、チェリーは違った。パワーステアリングではないのに、操舵力は重くない。急加速中にハンドルをとられる”トルクステア”もない。なにより操舵感がダイレクトで、反応がクイックだ。当時の国産FF車のステアリングとしては傑出していた。 

試乗当時すでに歴20年以上のクルマだったが、どうぞ好きに乗ってくださいという太っ腹なオーナーの御好意に甘えて、半日、ドライブさせてもらう。ドライビングポジションだけでなく、活発で楽しいドライブフィールも、軽いけど、けっしてカルくはない乗り味も、やっぱりイギリスのミニ(このころだとローバー・ミニ)に似ているなあと思った。

 初代チェリークーペは、なぜかヤンチャ系のドライバーにウケて、テールライトを吊り目に怒らせた改造が流行った。しかし、乗ってみると、同時代の欧州小型車のような楽しさに溢れていた。日産FF第一号として、もっと評価されていいクルマだと思う。

18M08oldcar_01.jpg18M08oldcar_02.jpg

18M08oldcar_03_new.jpg

チェリーには、ファストバックの2ドアクーペ(上)や2ドアセダン(中)、バン(下)など、さまざまなボディバリエーションが存在した。

18M08oldcar_04.jpg

4ドアセダン(X-1)の内装を見る。現代の乗用車とは異なり、ハンドルが寝ていることがわかる。

18M08oldcar_05.jpg

チェリーは、モータースポーツでも活躍した。デビュー戦となった’71年富士マスターズ250キロレースで、黒沢元治選手(#11)と都平健二選手(#10)が駆るチェリーが、ワンツーフィニッシュを果たした。


文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)

→【バックナンバー】これまでの「ぼくは車と生きてきた」を見る

この記事をシェア

  

応募する

応募はこちら!(4月30日まで)
応募はこちら!(4月30日まで)