パワーアップして生まれ変わるダム
地球温暖化の影響か、近年は気候変動の幅が大きくなってきたと言われている。いくつかのダムでも計画されたときの予測以上の豪雨や渇水に見舞われ、災害を防ぎきれなかった例がある。そんなときはどうするか。 改造したり、運用を変えるなど、パワーアップして出直すのだ。
●今月のオススメダム
天ヶ瀬ダム(アーチ式コンクリートダム/京都府宇治市)
琵琶湖から流れ出て大阪湾に注ぐ淀川のちょうど中間付近に造られ、京都や大阪の街を守る淀川本流で唯一のダム。すぐ下流には10円玉に描かれている平等院鳳凰堂がある。
左右だけでなく上下にもアーチしたドーム型アーチダム
鶴田ダム(重力式コンクリートダム/鹿児島県薩摩郡さつま町)
洪水調節と発電の目的で川内川中流部に建設された、九州最大の重力式コンクリートダム。列島を縦断するような台風を最初に出迎える、日本の治水ダムの先鋒。
台風よ、まずわたしが相手しよう
二度と同じ災害を起こさせない
ダムを建設するときは、必要な貯水量のほかに、流域の降雨量、上流からの最大流入量や下流への安全な放流量がどのくらいか、といった調査や予測が行われ、その情報をもとに堤体の大きさや放流設備の数などが決まる。しかし、造ったあとでその想定を超える洪水や渇水に見舞われ、下流で洪水が発生したり水不足で貯水が底をつくなど、災害を防ぎきれないこともある。また、下流の街や農地が発展したおかげで洪水や渇水の恐れが増すこともある。
そんなときどうするのかと言うと、ダムを改造したり、規模を大きくしたり、運用を見直したりする。つまり、巨大施設であるダムも、状況に応じてアップグレードして進化させるのだ。二度と同じ災害を起こさせないために。
進化の方法はいくつかあって、もっとも大がかりなのは、現在あるダムのすぐ下流にもっと大きなダムを造ること。ダム計画を根本からやり直すのだ。この場合、もともとあったダムは役目を終え、新しいダム湖の底に沈んでしまう。また、現在あるダムに直接コンクリートをつぎ足して大きくする方法もある。いずれにしても、まったく新規にダムを造るよりは確保する用地が少なくて済む。
建設中の夕張シューパロダム(左)の完成後にその貯水池に沈んだ大夕張ダム(右)(北海道)
堤高46.5mの旧堤体をかさ上げして堤高63mになった川上ダム(山口県)
貯水量を増やしたいときは、貯水池の中を掘り下げたり、溜まった土砂を取り除く場合もある。
そして、放流できる量を増やしたり、貯水池の運用を変えたりする場合は、新しく放流設備を設置する。
完成からおよそ半世紀後に放流設備(中央2つの建屋)を増設した五十里ダム(栃木県)
というように、ダムをアップグレードさせる方法はいくつかある。その中で今回は、放流設備を増設する改造を行っている、2つのダムに注目してみた。
京都と大阪を守る天ヶ瀬ダム
京都駅から車でおよそ30分。琵琶湖から大阪湾に流れる淀川(京都府内では宇治川と呼ばれている)の中流に、堤高73.0mのアーチダム、天ヶ瀬ダムが設置されている。下流の洪水被害の低減と飲み水の確保、発電の目的で1964年に完成した、国土交通省の直轄ダムだ。
雨のあとで豪快に放流していた
大胆にアーチした迫力の天ヶ瀬ダムに到着すると、堤体のやや下流の川岸、そして上流側のダム湖岸に工事現場があって、巨大なクレーンなどの重機が見えた。天ヶ瀬ダムでは現在、放流能力を上げるための放流設備増設工事が行われているのだ。
ダム湖の方にもクレーンのアームが見えた
ややこしい事情
天ヶ瀬ダムが通常の洪水調節で使用する放流設備の放流能力は、計画で毎秒900立方メートル。
最大で3門合計毎秒900立方メートル放流できる天ヶ瀬ダムの常用洪水吐
しかし大雨のときの最大流入量はそれを大きく超えることが多いため、洪水調節を始めると貯水池の水位は右肩上がりに増え、場合によってはそれ以上貯められない水位にまで達する恐れがある。そうなった場合は、ダムの上から水が溢れるのを防ぐため、最終手段として堤体のてっぺんにある水門も開き、流入量と同じ量を放流しなければならない。つまり洪水調節の役割を果たせなくなってしまうのだ。
上の4つの水門を開けるのは最終手段
そこで、下流の河川を毎秒1500立方メートル流せるように改修し、天ヶ瀬ダムからもプラスで毎秒600立方メートル放流できるように放流設備を増設することになった。放流量を増やすことで、貯水池の水位上昇のペースが緩やかになるので、上流からの流入量がもっとも多い時間帯にも貯水容量を残し、しっかり溜め込むように運用することができるのだ。
そして、もうひとつ重要な意味がある。それは天ヶ瀬ダムの上流にある琵琶湖の水位だ。琵琶湖には一級河川だけでも118本もの川が流れ込んでいる。いっぽうで流れ出るのは淀川1本のみ。したがって流域に大雨が降ると、琵琶湖の水位は上がりやすくなり、沿岸に浸水の恐れが出てくる。琵琶湖の出口には瀬田川洗堰という水位を調節するための堰が設置されており、琵琶湖の沿岸地域としては、琵琶湖の水位が上がりそうなときは堰を全開にして少しでも多くの水を流したい。
しかしそういう場合、下流の淀川の水位も上がっている場合が多い。そこに琵琶湖の放流が加われば洪水が発生する恐れもある。だから、下流から見ると大雨が過ぎ去って淀川の水位が下がるまでは瀬田川洗堰を閉め切ってほしい。
ちなみに渇水の場合は逆で、水を流したくない琵琶湖と流してほしい淀川沿岸、という構図となる。
こういった事情の違いがあって、琵琶湖を抱える滋賀県と、淀川下流の京都府、大阪府の間で長年にわたるせめぎ合いがあった。
天ヶ瀬ダムは、その琵琶湖と淀川下流の間に設置されている。天ヶ瀬ダムの放流量を増やすことができれば、瀬田川洗堰を早く開けることができ、琵琶湖の水位を下げるための放流量を増やすこともできる。
天ヶ瀬ダムに放流設備を増設するのは、上流にとっても下流にとっても悲願と言えるのだ。
天ヶ瀬コロシアム
そんな複雑な事情を抱えた天ヶ瀬ダム放流設備増設の工事現場は、もうすごかった。天ヶ瀬ダムはアーチダムで、力学的に計算し尽くして設計された堤体なので、ダムを運用したまま穴を開けることは技術的にも工期的にも難しい。そこで、ダム湖の湖畔に放流設備の入口を新たに造り、山の中に直径10.3m、長さ617mのトンネルを堤体を迂回するように掘って、下流に出口を持ってくる。そんな大規模な工事が行われていた。
まず向かったのは上流側のダム湖畔。ここでは、ダムを通常通り運用しながら貯水池の中にトンネルの入口を造らなければならないため、直径1.5mもある鋼管を円形に53本も打ち込んで固定、その中の水と土砂を抜いておよそ40m掘り下げ、そこから横向きにトンネルを掘っていくという。
建設中のトンネル入り口部分。咄嗟にコロシアムのイメージが湧いた
見学した日は穴の淵からおよそ20mほど掘り下げたところだったのだけど、上から見下ろすと、そこは直径28mの、まるでコロシアムやオペラハウスのような熱気を感じる空間だった。1度でいいからここでコンサートなど開催してほしい。
この通路みたいな部分から鑑賞したい
荘厳なトンネル内部
続いてはダムを通り越し、トンネルの出口が作られている下流へ。工事現場に入ると、ちょうど道路のものと同じくらいの大きさのトンネルが3本、口を開けていた。これが増設放流設備の出口、かと思ったらそうではないらしい。実はこれ、大きなトンネルを掘る前の導坑と呼ばれるもので、実際はここから上にも下にも大きく切り広げ、最大で高さ25mものトンネルになるという。そう言えば最大で毎秒600立方メートルの水が流れるんだった。ちょっと、想像がつかない。
実際のトンネル出口部分はこの何倍も大きくなる
導坑から中に入ってしばらく歩くと、トンネルが広がって、そこには非常に大きな立坑が造られた巨大な空間が広がっていた。ここは増設する放流設備の水門が設置される場所だという。クレーン車が何台もすっぽり入っている空間は、立坑の上から光が射し、ぴりっと張りつめた空気が漂う厳かな雰囲気だった。
腰が抜けるくらい圧倒された
トンネルの入口も出口も、完成したら水が通るので中を見ることはまずできないだろう。工事中だけの限定的な光景、というのがまた神聖で儚い雰囲気を醸し出していた。
このとき頭の中真っ白でした
九州最大の重力式ダム
熊本県が源で、宮崎県を経由し、鹿児島県北西部を流れて東シナ海に出る九州第二の規模の河川、川内川。その中流部に設置されている鶴田ダムは、洪水調節と発電の目的で1965年に完成した、高さ117.5m、九州最大の重力式コンクリートダムだ。
鹿児島空港からおよそ1時間。鶴田ダムに近づくと、周辺には工事の資材置き場などが目立つようになり、さらに進むと巨大な堤体が視界に飛び込んでくる。しかしふつうのダムとは様子が違う。堤体の下流面には大きな足場が組まれ、周囲をいくつもの巨大なクレーンに取り囲まれているのだ。
大改造中の鶴田ダム
孤立無援となった鶴田ダム
ちょうど台風の通り道でもある鶴田ダムは、完成後から計画を上回る大雨に襲われていた。特に2006年7月には5日間で年間降水量の約半分、およそ1000ミリという記録的な豪雨に見舞われ、長時間にわたる必死の洪水調節にも関わらず、ついに貯水容量を使い切るところまで追い詰められてしまった。
その結果、放流量は計画を超え、最大流入量を記録した時点でも毎秒1000立方メートル以上貯め込むことができたものの、その後は流入量とほぼ同じ量まで増やさなければならなくなり、洪水調節機能を喪失。下流で900戸以上が床上浸水、という洪水被害を防ぐことができなかった。
ちなみにこのときは、ダムに向かう上流側、下流側の道路すべてが土砂崩れなどで通行できなくなり、電力、電話、水道といったライフラインも途絶。電力が仮復旧するまでの2日間は孤立無援の状態で、自家用発電機を動かし、その後5日間は管理所に籠城しながらの操作だったという。もはや伝説である。
出直すための大手術
目的が洪水調節と発電という、多目的ダムの中でもかなり治水に特化したダムについた痛恨の黒星。それをもう2度と繰り返させないため、鶴田ダムは堤体に洪水調節用として3本、発電用として2本、計5本もの穴を開け、放流設備を増設。これまでより水位を下げることができるようになり、夏の間は発電用の容量を削って、大雨を待ち受ける水位を約15mも下げる運用に見直しが行われた。
発電所に水を送る導水管は低い位置に付け替えられた
堤体に穴を開ける工事はダムを運用しながら行われるため、上流側ではダム湖内で最大65mにもなる潜水作業が必要になる。そこで、作業効率を上げながら地上との気圧の差の影響を最小限にするため、ダム湖上に潜水作業員専用の部屋を設置。部屋の中を作業する水深と同じ気圧にして、潜水作業員は1ヶ月間、その中で隔離生活しながら作業にあたる、飽和潜水作業という方法が行われた。
作業中は貯水池の上に台船を浮かべて居住区が作られていた
まるで宇宙飛行士だ。想像するだけでも過酷で、高い技術と精神力が要求される職種であることが分かる。やれと言われても簡単にできるものではない。
そういった作業を経て堤体の新しい穴はすべて無事に開き、放流調節用の水門なども設置されて、新しい放流設備と発電用導水管は無事に完成。工事は最終段階を迎え、現在は総仕上げが行われている。
新たに設置された3門の常用洪水吐。水門が色分けされている
下流に作られた展望台から、大手術を受けている堤体、そしてオペを行っている医師や看護師のようにせわしなく動き回る重機たちを眺めていると、もう下流に被害を出させない、そんな決意をにじませながら、再び立ち上がろうとしている鶴田ダムの頼もしい姿に心を打たれてしまう。工事が全て終わる前に、そんな再起を図るダムの姿をぜひ見てほしい。
重機や人の大きさからダムの巨大さが分かりますか?
パワーアップして生まれ変わろう
天ヶ瀬ダムも鶴田ダムも、ダムが計画されたときの予測を超える大雨に襲われ、その結果、大改造を施して生まれ変わろうとしている。実は、こういったダムは現在全国にいくつもあり、下流に造られたダムの貯水池に沈んだり、堤体に切り欠きが造られたり穴を開けられたり、トンネルを掘ったりしている。あれほど巨大なダムでも、想定外の事態に対処するために出直すことがあるのだ。我々も、何かあっても多少のことではめげず、次を見越してパワーアップをしていきたいものだ。
工事は24時間態勢で夜の現場は幻想的でした
ダム写真と文=萩原雅紀
●1974年東京都生まれ。偶然出会ったダムの魅力に取り付かれ、98年から本格的にダムの撮影を開始。以降、ライフワークとして「ダムめぐり」を続ける。著書に写真集「ダム」、「ダム2」など。ダム人気の火付け役となった。これまで訪れたダムは400か所以上。最新刊は「ダムに行こう!」(学研プラス刊)