スズキ・初代アルト
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。衝撃の低価格でベストセラーに。
イラスト=waruta
「スズキ・アルト 47万円」。1979年5月、衝撃的なキャッチフレーズで登場したのが、初代アルトである。長く360cc時代の続いた軽が、550ccに拡大されたのは76年。アルトのデビューは、新規格スタート以来のビッグニュースだった。当時、一般の人が買う軽自動車は、60万円台が主流だったのだ。
破格の低価格が実現できた大きな理由は、アルトが4ナンバーの商用車だったからだ。商用車としてつくれば、15.5%だった物品税がかからない。乗用車に比べると、排ガス規制もゆるく、その分、コストを下げられる。前席の後ろは貨物スペースとみなされるため、リアシートの居住性は大きく制限されるが、それも”割り切り”だった。
アルトは、同時発売された乗用車登録のフロンテと兄弟関係にあったが、ボディーは2ドアのみ。4ストローク3気筒のフロンテに対して、新設計の2ストローク3気筒を搭載した。
アルトの先代モデルにあたるフロンテ・ハッチも4ナンバーだった。京都で農業と新聞販売店と民宿を営んでいた筆者の祖父宅にもあって、学生時代の夏休みには運転の練習をさせてもらった。そのように、軽の商用車をふつうの人が使うのは珍しいことではなかったが、アルトはシンプルなスタイリングや割り切ったパッケージング、そしてなにより冒険的な低価格で、軽の商用車を「新しい軽自動車」として提案したのである。
その作戦は大成功を収めた。アルトの成功は”ボンネットバン”という言葉を生み、ライバルメーカーも次々にこの市場に新型車を送り込んだ。その後、89年の消費税導入により物品税が廃止され、大きな転機を迎えたが、80年代の軽自動車はまさに”ボンバン”の時代だった。
初代アルトは、いまでいうミニマリズム(最小限主義)を感じさせる楽しいクルマだった。28psの543cc2スト3気筒がもたらす動力性能はなかなかのものだったし、乗り心地も 軽トラと同じリーフスプリングのリアサスペンションのわりには、よかった。なんといってもこのクルマの人徳ならぬ”車徳”は「だって、47万円でしょ」と言ってもらえるところだった。
そのためのコストダウンは徹底していた。助手席側のドアにはキーホールがなかった。丸く場所はとってあるが、穴は開いていない。ラジオやシガーライターやリアウィンドウの熱線だけでなく、左側のドアロックもオプションだったのだ。ウィンドウウォッシャーもステアリングコラムのところについているゴム球を手で押すという、手動噴射だった。
でも、軽自動車は本来、そういうクルマだった。軽自動車の「軽」が「軽便」の略だとすると、初代アルトは軽の原点だったと思う。
ステアリングの左奥、キー差込口の反対にあるのがウォッシャーのポンプ。装備も極力簡素なものにすることで、47万円の価格が実現した。
シートも非常にシンプルなものだった。バン登録されるだけに、後部座席はシートバックが直立するなど、荷室重視のしつらえとなっていた。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)