【フリフリ人生相談】第409話「会話中の視線が苦手」
登場人物たちは、いいかげんな人間ばかり。そんな彼らに、仕事のこと人生のこと、愛のこと恋のこと、あれこれ相談してみる「フリフリ人生相談」。 人生の達人じゃない彼らの回答は、馬鹿馬鹿しい意見ばかりかもしれません。でも、間違いなく、未来がちょっぴり明るく思えてくる。 さて、今回のお悩みは? 「会話中の視線が苦手」です。 答えるのは、そんなことは気にしなさそうなバンジョーです。
苦手な人は多い
今回もよくありそうなお悩みが届きました。20代の女性からです。
「会話をしているときに、相手の視線が気になってしまいます。男性はもちろん、女性の場合でも、自分の顔をじっと見られるのが苦手だし、視線をそらされて、自分を見てくれないことも不安です。そのせいか、うまく話せないことも多く、そんな自分がいやになります。どうしたらいいですか?」
「どうしたらいいですか?」と、つまり、解決策をご希望のようですが、さて、そんなことにズバリ答えられる人物がフリフリ連中にいるのかどうか?
なんて考えていてもはじまらないので、他人の視線なんてまったく気にならなさそうなバンジョーに話を持っていくことにしました。
「どうですかね? バンジョーさんは話すときに誰がどこを見ているかなんて、あまり気にしてなさそうですけど……」
と、私がイヤミではなくふつうの感じで言うと、
「そんなことないよぉ。ぼくも人の顔を見て話すのが苦手だもん」
なんて、ちょっぴり照れたように言ったのです。
「ま、まじですか」
「松尾さんみたいに人の目をしっかり見ながら話す人のほうが珍しいよ」
バンジョーはそんなことを言います。
確かに、私、これまでの人生のなかで、そういう指摘は何度ももらったことがあります。「じっと見つめられてて、怖い」くらいのことさえ言われます。
うーむ。私は関西人なので「話してるときに受けてるかどうか、すごく気になるんだよ」なんて言いわけしてたのですが、もちろん、関西人だからといって、みんなが「じっと見つめる」わけではありません。
「そうそう、関西人とかっていうのは、関係ないよね」
と、バンジョーは笑います。
「視線が苦手……さて、どうしたらいいですかね」
私が問うても、
「だから、ぼくも苦手なんだって……」
と、答えになってないわけです。
困った……。
そう思っていたら、ふいにバンジョーは、よく行くバーでの出来事を話してくれました。
苦手なんて言ってられない世界
バンジョーがよく行く麻布の小さなバーには、ときどき、カメラマンとか俳優とかがぶらりとやってくるそうです。たまたま、あるカメラマンと俳優がいっしょに飲んでるときに、バンジョーもいたらしいのです。
「でね、そのとき、そういう話になったんだよ」
「そういう話? つまり、話すときに視線が苦手とか」
「よく覚えてないけど……そのカメラマンは旅の取材も多くて、旅先で一般の人をよく撮るんだって……で、最近の若い子は撮るときにカメラを見てニッコリいい顔で笑ってくれるけど、おじさんとかおばさんは、なかなか苦手な人が多い、みたいな話でさ」
「ふむ、世代で差があると?」
「っていうか、そのときは、最近の人たちはスマホで撮影したりされたりすることが多いから慣れてるのかね、なんて話をしてて……」
「でも、今回の相談者は20代ですけど」
「うん、そう……だから、そのカメラマンが話してたときに、横にいた俳優さんが、ぼくも苦手なんですって言ったのね」
「俳優って、誰なんです?」
「忘れちゃったぁ。大河ドラマとかにも出てる人らしいけど、ぼく、そういうのに詳しくないから……20代ってことはないけど、そんなに年でもない……30代じゃないかなぁ」
「そうですか……」
有名な人だったら一気に気持ちが盛りあがったのですが、バンジョーが知らないんじゃあ、話になりません。
「でも、俳優なのに話すときに視線が苦手っていうのは、どうなの? みたいな話になって、その俳優さんは、ずっと苦手なんだけど、仕事をしているうちに、だんだん鍛えられたのか、大丈夫になってきたって……」
つまり、基本的に話すときに視線が苦手な俳優さんも、お芝居を仕事にしているうちに苦手ではなくなった、と。
というか、役者さんは、そこが苦手では仕事にならない気もします。
「うん、そうなんだって……とくに、舞台の芝居はほんとに鍛えられるらしいんだよ。極端な話、どこを見ながら、どういう顔をしてどういうセリフをどういうテンポで言うかっていうのも、演出家が指示してくることもあるんだってさ。苦手だとか恥ずかしいとか言ってる場合じゃないよね」
そりゃ言ってる場合じゃないでしょう。向き合って怒鳴るとか当たり前で、ちらりと視線を上げるとか下げるとか、じっと見つめて話すとか、芝居っていうのは、そういう視線の動きがとても大切に違いありません。
「だから、そういうトレーニングをすればいいんじゃないかって、思うんだよねぇ」
と、バンジョーは話の脈絡に頓着せずにそんなことを言います。視線が苦手な人が芝居を仕事にして鍛えられたんだから、同じように練習すれば苦手ではなくなるのではないかということです。
確かに、最近の人たちはスマホのカメラに慣れていて、一眼レフカメラを向けてもニッコリできるということは、大切なのは「慣れ」ってことです。
ただ、会話の場合、ふつうの女の子が視線をトレーニングって、どうすりゃいいんでしょうかね。
「趣味でお芝居してる人、知ってるよ」
と、これまた無責任なことをバンジョーは言います。
確かに、世のなか、芝居好きな人はたくさんいます。社会人演劇みたいなことを趣味でやってるサークルもたくさんあるでしょう。
「でも、この人が芝居に興味がなきゃ無理でしょ?」
私は責めるつもりはないので、つい笑ってしまいました。
「ふつうの会話でもむずかしいのに、芝居の稽古なんてトラウマって言われちゃうかも、ですよ……」
「でもさぁ、じっと見つめられるのもいや、視線をそらされて自分を見てくれないのもいやって……きっと、この人は、他人の視線に敏感すぎるんだよ」
「そうでしょうね」
「目は口ほどにものを言うって、言うじゃない?」
「言いますね。ぼくもこのお悩みを読んだときに、まず、その言葉を思い浮かべましたよ」
「この20代の女の人はさ、そういう視線の動きから察することのできる相手の気持ちを考えすぎちゃうわけだよね」
「なるほど」
「視線に圧倒されちゃってるというか……」
「確かに、そうかもしれないですね。自意識過剰ってことはないけど、過度に意識しすぎってことですね」
「いや、わかんないけど……そんな気がする」
「確かに、そういう側面はあるかも、ですね」
気持ちをコントロールするために
つまり、バンジョーの言いたいのは、視線に敏感すぎるのだから、慣れるには「心構え」より「トレーニング」がいいのではないかということみたいです。
「話してるときに視線を合わせられないって悩みがある人に、背筋を伸ばして自分に自信を持って話しましょうみたいなアドバイスがあるじゃない?」
と、バンジョーが言います。
「そうなんですか」
と、私。
「ネットで読んだことがあるんだよ。でも、そういうアドバイスって役に立つのかなぁって、いつも思ってたんだよね」
「心構えでは克服できない、と?」
「自信を持ちましょうってことより、ひとりきりで川原で叫ぶほうが絶対いい練習になるわけだしさ」
「なるほど……」
もしかすると、バンジョーも視線が苦手だとひそかに悩んでいるのではないか、と、ふと思ってしまいました。そして同時に、もしかすると、話すときにじっと目を見つめてしまう私のことを苦手ではないかということに、はたと気づいてしまったのです。
ははあ、バンジョーは、おれのこと苦手なのか……という発見は、意外に衝撃だったりします。
「ひとりで鏡を見ながら、セリフを言ったりするんだって」
と、バンジョーはその俳優の言葉をどんどん思い出してきたようです。
「そうやって自分の顔を見ながらしゃべると、セリフを覚えるのもラクらしいし」
「…………」
「とにかく、まずは鏡の前で練習じゃない?」
「苦手なことはトレーニングで克服ってことですかね」
「そうそう……っていうか、松尾さんはどう答えるのさ」
「は?」
「人からきらわれちゃうくらいじっと見つめる松尾さんなら、この人にどう回答するの? そっちのほうがよっぽどいいアドバイスになるんじゃない?」
「そうですねぇ」
人からきらわれちゃうくらい……というバンジョーの言葉に引っかかりながらも、私は「会話中の自分の心理」について、つらつらと考えてみました。
「どうなんですかね。視線が気になるとか、相手がなにを考えてるかって、あまり気にしてないかもしれないですね」
「…………」
「とにかく、話すのに一生懸命、みたいな。ガンガンしゃべりながら相手の顔を見て、つぎの言葉を考えて、受けそうな展開とかタイミングを狙ってる、みたいな」
「そうなの?」
「いや、敢えて言えば、ですよ。あまりそういうことを意識したことないし……」
「うーん、やっぱり、それ、関西人ってことなのかなぁ」
バンジョーは少しばかり唖然とした様子で、しみじみと言ったのです。
私から言えるのは「むずかしく考えないで、しゃべってればいいんじゃない?」くらいのテキトーなことなのですが、もしかすると、バンジョーの言うように「意識的にトレーニングをしてみる」っていうほうが、わかりやすいのかもしれません。
苦手を克服するには、まずはトレーニングってことですかね。コンプレックスとか自意識とかむずかしい心理的な話は置いといて、鏡を見ながら、あれこれひとりでしゃべってみてはどうですか?
というのが、今回の解決策、ですかね。