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最終更新日:2024.08.22 公開日:2024.07.24

片岡義男の「回顧録」#3──道路はそのままで小説になる 『湾岸道路』と『夜霧の第二国道』

片岡義男が語る、1970~80年代の人気オートバイ小説にまつわる秘話。第3回は『湾岸道路』とHARLEY-DAVIDSON FXS1200ローライダーです。

文=片岡義男/KURU KURA編集部

『湾岸道路』/(株)KADOKAWA/1984年発行(絶版)

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道路の名称が、ただそれだけで小説の題名になる、とはっきり意識したのは、いつのことだったか。小説を書き始めてからのことであるのは確かだ。題名には苦労がともなう。意識と無意識の中間あたりにいまも漂っているのは、『夜霧の第二国道』という歌謡曲だ。メロディのぜんたいが第二国道であり、特に「第二国道」という言葉が譜面にのった、F、C7、Fの二小節は、こんな言葉がこうもなるのか、という感銘を大学生だった頃の僕にあたえてくれた。

道路の名称を題名にした僕の小説は、第二国道を出発点にしている。『箱根ターンパイク置いてけぼり』という題名の短編を書いた記憶がある。ほぼおなじ時期に『小牧インターチェンジ待ちぼうけ』という題名でおなじく短編を書こうとしたのだが、いまにいたるもそれは実現していない。待ちぼうけなら、いくらでもあるはずだ。箱崎ジャンクション、という名称も短編の題名に使いたい、とせつに思った。置いてけぼり、待ちぼうけ、そしてその次は、なになのか。その次が、いつまでもないままだ。

『湾岸道路』という題名は、すんなりと編集部の同意を得ることが出来た。『環状七号線』という題名でも長編を書きたいものだ、とかつて思った。第一部と第二部とに分かれていて、第一部は「内回り」で、第二部が「外回り」だ。東関東自動車道も使えるかな、と思ったことがある。下り坂を下りきると、いきなり日本海側の世界に入るところが、どこかの自動車道にあった。あ、日本海側だ、と全身で感じるあの瞬間を、小説の題名に出来ないものか。首都高速道路、という六文字も、字面は良いのではないか。しかしこれだけでは殺風景なので、なにかをつけ加えなくてはいけない。高速3号渋谷線ならいいかもしれない。高速湾岸線もある。千葉街道もなぜか使いたい。どんな言葉を加えれば、千葉街道が引き立つのか。第三京浜では、泣きながら第三京浜、という題名を考えたのだが、よせよ、泣かすなよ、からっと笑えよ、という意見があり、考慮中だ。これで笑うか千葉街道、というのはどうか。東海道、山陽道、国道2号線なども、使いたい。

ずっと以前の時代劇映画の題名に、『勢揃い東海道』というのがある。道中とか五十三次といった言葉も、いまの小説の題名のなかに使えないものか。第二京浜多摩川大橋、という言葉もいいと思う。自動車でこの橋を渡るあいだという、きわめて短い時間がストーリーの核になっている、切れ味鋭い、クールのきわみのような短編を書きたい。

文=片岡義男

HARLEY-DAVIDSON FXS1200ローライダー ミニヒストリー

片岡義男氏の小説『湾岸道路』に描かれる空気感は、現在の湾岸道路を思い描くとイメージがかなり違ってしまう。小説の舞台となった40年以上前の湾岸道路はまだ開発途中のそれであり、信号機や道路標識はもちろん、地面や草木までもが人為的に作られた埋立地だった。未完成のジオラマのようなその一帯は、それまでの東京には存在しなかった異空間であり、そこで繰り広げられるストーリーもまた、とびきりシュールでクールな味わいだ。

美男と美女、誰もが憧れるような夫婦関係に訪れた、突然の別れ。もちろん伏線はあるのだが、主人公の女性の視点に立てば、それはあまりに唐突な出来事だった。主人公の男はハーレーに乗って立ち去り、ひとり湾岸道路に置き去りにされた女性は、消えてしまった男を客観的に理解しようと努め、やがて免許を取得して同じようにハーレーに乗って旅立つという回答を導き出す。そして誰もいなくなる。

彼女を旅に駆り立てたものはなにか。その真意は定かではないが、彼女がハーレーに跨って旅立ったことは理解できる。男を追いかけるでもなく、まったく新しい生き方に踏み出す彼女には、Ⅴツインが生み出す強大なトルクと鼓動が必要だった。目的地のない旅にライダーを誘う、それがハーレーなのだ。湾岸道路という非日常的空間で描かれる唯一のリアル。ハーレー・ローライダーとは、どんなオートバイなのだろうか。

■混乱期に誕生した、奇跡の純正カスタムモデル

FXS1200ローライダー(1977年):全長×全幅×全高=2,337×711㎜ 車両重量=275kg エンジン形式=4サイクルV型2気筒OHV 排気量=1,207㏄ 最高出力=65ps/5,600rpm

1907年に誕生したハーレーダビッドソンは、アメリカを象徴するオートバイとして不動の地位を確立している。だが、その経営は決して順風満帆なものではなかった。ハーレーダビッドソンに最大の危機が訪れたのは、69年のAMFによる買収劇であった。

日本車の台頭などにより、かつての好調な販売に翳りが見えていたハーレーは、経営不振から、製造機器メーカーのAMF(アメリカン・マシン・アンド・ファウンドリー)による買収を受け入れた。だが、大量生産で利益を上げようとするAMFの方針は、やがて品質低下という深刻な事態を招いてしまう。顧客の信用を失い、苦境に立たされたハーレー。だが、そのピンチを一人の男が救った。創立者の一人、オールド・ビル・ダビッドソンの孫であるウィリー・G・ダビッドソンであった。

当時、デザイン部門に籍を置いていたウィリー・Gは、それまでのハーレーファンの中核を担っていた保守的なユーザーではなく、まだ少数派だったカスタム好きに注目。既存モデルのパーツを組み合わせて、まったく新しいハーレーを生み出した。これが71年に発表された「FX1200スーパーグライド」である。ビッグツアラーであるFL系のフレームに、軽快なXLスポーツスター系のFフォークを移植したこのモデルは、FXというコードを与えられ、ハーレーの新たな潮流となった。そして77年、彼はこのスーパーグライドをベースに、ドラッグバーハンドルを装備し、燃料タンクに速度計と回転計を縦に配置した斬新なモデルを送り出した。スーパーグライドのシートを低くした着座ポジションから、「FXS1200ローライダー」と名付けられたこのモデルは、クールなカスタムハーレーを求めていた多くのファンの注目を集め、発売と同時に大ヒットを記録したのである。

翌78年、CDI点火を採用したローライダーは、ヘッドアングルをさらに寝かせたスタイルに進化。79年には排気量を1,340㏄に拡大し、バックホーンタイプのアップハンドルを装着した「FXS80ローライダー」もラインナップに加えられた。

■AMFからの独立とニュー・エンジンへの転換

ヒット作を生み出したハーレーではあったが、環境問題に対応するための設備投資の増加などにより、会社を取り巻く状況は80年代になっても相変わらず好転しなかった。しかし、それが逆にAMFにハーレーを売却するという決断を下させ、ハーレーは「売却されたハーレーを自ら買い戻す」ことで再び独立に成功。81年には「ハーレーダビッドソン・モーターカンパニー」として再出発を果たした。そして新生ハーレーが84年に採用したのが新しいエボリューション・エンジンだった。

ハーレーの歴史はエンジンの歴史でもある。29年のサイドバルブから始まり、初のOHVを採用した36~47年のナックルヘッド、シリンダーヘッドが鍋に似ていることに由来する48~65年のパンヘッド、同じくシャベルに似た66~84年のショベルヘッドと、ハーレーのエンジンは絶え間なく進化してきた。そしてこのエボリューションは、AMF傘下で失った顧客の信頼を回復すべく、コンピューター解析による設計と高度な品質管理が行われたエンジンだった。85年、この新型エンジンを搭載して信頼性を向上したローライダーは、さらに従来のグライドフレームに代わって、すべてをアーク溶接で仕上げた新フレームも採用。「FXRSローライダー」と名付けられたこのモデルは、スポーツエディションやコンバーチブルといった数々の派生モデルを生み出した。また、93年にはダイナグライドフレームという剛性の高いダブルクレードル式フレームに変更され、その名称から「FXDLダイナ・ローライダー」と呼ばれることになった。

■動力性能の向上、そして新しいローライダーへ

FXDLSローライダーS(2016年):全長=2,390㎜ シート高=685㎜ 車両重量=305kg エンジン形式=4サイクルⅤ型2気筒OHV 排気量=1,801㏄ 最大トルク=143Nm/3,502rpm

99年、ハーレーのエンジンはそれまでのエボリューションからカムを2本に増やした「ツインカム88(88キュービックインチ=1,450㏄)」となる。この変更は大排気量時代にふさわしい快適なクルージング性能を得るためで、04年には環境対応によるインジェクション化(FXDLIローライダー)も実施された。ツインカム88はその後、排気量を96、103と拡大し、2016年にはついに1,801㏄のツインカム110を搭載した「FXDLSローライダーS」が発売された。FXDLSローライダーSは、基本的にはFXDLローライダーにツインカム110を搭載したモデルであるが、そのスタイルは大きく異なっている。渋いブラックに統一されたカラーリングに精悍なビキニカウル。日本人デザイナーが手掛けたというその外観は、驚くべきことに初代ローライダーと同じ77年に登場した伝説のカフェレーサー「XLCR1000」へのオマージュそのものだった。デザインモチーフを同じ年に誕生したもう一台の歴史的ハーレーに持ってくるとは、その遊び心のなんとも粋なことか。メーカー純正カスタムとしてウィリー・Gが生み出したローライダーは、「低く、長い」という伝統を守り続けながらも、カスタムという本質を見失ってはいなかった。伝統と変革を併せ持つローライダーは、いつでも新しい可能性を模索し続ける存在なのだ。

文=KURU KURA編集部
写真協力=ハーレーダビッドソンジャパン
参考資料=ハーレーダビッドソンの100年(八重洲出版)、100 YEARS of HARLEY-DAVIDSON 日本版(ネコ・パブリッシング)、ハーレーダビッドソン80年史(グランプリ出版)

(JAF Mate 2017年1月号掲載の「片岡義男の「回顧録③」を元にした記事です。記事内容は公開当時のものです。)

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