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最終更新日:2024.07.23 公開日:2024.07.22

「世界最古の自動車コンクール」の新鮮さ──コンコルソ・ヴィラ・デステ2024

世界最古の自動車コンクールとして知られる「コンコルソ・ヴィラ・デステ」が、今年もイタリア北部コモ湖畔を舞台に開催された。会場はまるでスーパーカーの祭典? 歴史あるイベントにも変化の兆しあり。イタリア・シエナ在住の人気コラムニスト、大矢アキオ ロレンツォが現地からリポート。全3回に分けてお届けする。今回はその第1回。

文と写真= 大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

写真=大矢麻里(Mari OYA)

2024年5月25日、「コンコルソ・ヴィラ・デステ」会場で。左から1990年「ランボルギーニ・カウンタック 25thアニバーサリー」、コッパ・ドーロ賞に輝いた1995年「マクラーレンF1」、そして一般公開日の若者投票賞を獲得した1999年「ランボルギーニ・ディアブロGT」。

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軽妙なジョークとともに

自動車エレガンス・コンクール「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」が2024年5月24日から26日までイタリア北部コモ湖畔のチェルノッビオで開催された。

同イベントは1927年に歴史を遡り、現存する世界最古の自動車エレガンス・コンクール(コンクール・デレガンス)とされる。初日の金曜日はグランドホテル・ヴィラ・デステでオーナーたちによるパーティー、続く土曜日は同ホテルで招待日と審査、そして最終日は別の館ヴィラ・エルバで一般公開、というのが毎年のカレンダーだ。BMWの歴史車両部門と前述のホテルが主催という形がとられている。

2024年は51台のヒストリックカーが8クラスに分けられて審査を受けた。パレードの司会役は、ジュネーブの古典車コンサルタント、サイモン・キッドストン氏だ。彼の巧みな話術は、一見とっつきにくい古い車にも来場者が興味を抱くきっかけとなる。専門的な知識とともに、多彩なジョークをはさんでゆくからである。

司会役の古典車コンサルタント、サイモン・キッドストン氏と、新車時代カリフォルニアに納車された1967年「ランボルギーニ・ミウラP400」。

たとえば「007のジェームズ・ボンドが年金生活に入ったら、おそらくこの車に乗っていたでしょう」という彼のアナウンスとともに審査員たちの前に現れたのは、1966年「アストン・マーティンDB5」のシューティングブレーク仕様だ。“ボンドカー”で知られるDB5だが、このワゴン仕様はたった12台。それも参加車と同じ左ハンドル仕様は僅か4台だったという。

1966年「アストン・マーティンDB5シューティングブレーク」。

戦前のイタリア製超高級車ブランド「イソッタ・フラスキーニ」の1927年ティーポ8ASの紹介もしかり。絶世の二枚目俳優ルドルフ・ヴァレンティノが特注した車両だったが、彼はデリバリー前、1926年に31歳で急逝してしまう。実際は病死だったものの、すかさずキッドストン氏は「ヴァレンティノは、高額な車の請求書を見てしまったからでしょう」といったコメントを添える。

1927年「イソッタ・フラスキーニ・ティーポ8AS」。俳優ルドルフ・ヴァレンティノによって発注されたが、納車前に本人が逝去。女優ペギー・ホプキンス・ジョイスが初代オーナーとなった。

「自走による最遠来賞」も

審査員によるベスト・オブ・ショーには、1932年「アルファ・ロメオ8C2300」が選ばれた。オーナーは海軍士官学校生だった21歳のとき手に入れたものの、直後に第二次世界大戦でアジア方面に赴任したため車両はガレージに仕舞われた。戦後も一部の機会を除いて整備されることはなく、約77年間その存在が知られることはなかった。そうした数奇な車歴に加え、戦前車としてはオリジナル状態が高度に保たれた数少ない例であることが注目された。

ベスト・オブ・ショーに輝いた1932年「アルファ・ロメオ8C2300フィゴーニ」。

対して、招待客の投票による賞「コッパ・ドーロ」は、常連たちの驚きを呼んだ。1995年「マクラーレンF1」ロードカーが選ばれたのだ。今も品川ナンバーが付いているこの車両の初代オーナーは日本の男性専門クリニック経営者で、黒とグレーのツートーンカラーは、所有していたメルセデス・ベンツSLの車体色に合わせて同氏がオーダーしたものだった。

マクラーレンの熱心な愛好家だった氏は、さらなるリクエストを同社に送る。1995年ル・マン24時間レースにおけるマクラーレン製「F1 GTR」ワークスマシン1台のスポンサーとなる代わりに、そのマシンを自身のF1ロードカーと同じ黒&グレー塗装するよう要求したのだ。加えて、レーシングドライバーの関谷正徳氏にシートを確保することを要望。最終的に、このワークスカーは優勝し、関谷氏は日本人初のル・マンウィナーとなった。

コッパ・ドーロに選ばれた1995年マクラーレンF1。

従来コッパ・ドーロといえば、戦前か終戦直後の一品製作車級モデルが選ばれることが多かった。今振り返れば、2022年にアストン・マーティンの1979年のコンセプトカー「ブルドッグ」が受賞したあたりから、招待者たちの選択に変化の兆しが現れ始めたのかもしれない。

いっぽう、2023年に創設され、世界的テノール歌手ヨナス・カウフマンが選者を務める「モトーレの歌声トロフィー:ベストエンジン・サウンド賞」には、1976年「ランボルギーニ・カウンタックLP400」が選ばれた。こちらの初代オーナーはサウジの王女で、19歳の誕生日に夫から贈られたものだったという。

1976年ランボルギーニ・カウンタックLP400は、かつてサウジ王女への誕生日プレゼントで、パープルは彼女が愛した色だった。現オーナーのクリスティーン・シャームス氏(左)と、ランボルギーニの伝説的テストドライバー、ヴァレンティーノ・バルボーニ氏。

大半の参加車は高価なことからキャリアカーで輸送されてくるが、稀に走って来場するエントラントもいる。そうしたオーナーの勇気を讃えるため、「自走による最遠来賞」も設けられている。今回こちらはドイツ・バイエルンから約360キロメートルを走ってきたルーフ・オートモビルの「CTRイエローバード」に捧げられた。製作者兼オーナーのアロイス・ルーフ氏と令嬢アロイーザさんの喜びは動画でご覧いただきたい。

こうした評価の多様性が、歴史あるイベント、ヴィラ・デステを常に新鮮にしている理由なのである。

製作者のアロイス・ルーフ氏が自走で来場・参加した1987年ルーフCTRイエローバード。1988年にフェラーリF40を凌ぐ最高速度342km/hを記録した。

ルーフCTRイエローバードとアロイーザ・ルーフさん。

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