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最終更新日:2023.11.20 公開日:2023.11.15

【フリフリ人生相談】第420話「やさしい上司の裏の顔?」

登場人物たちは、いいかげんな人間ばかり。そんな彼らに、仕事のこと人生のこと、愛のこと恋のこと、あれこれ相談してみる「フリフリ人生相談」。人生の達人じゃない彼らの回答は、馬鹿馬鹿しい意見ばかりかもしれません。でも、間違いなく、未来がちょっぴり明るく思えてくる。さて、今回のお悩みは?「やさしい上司の裏の顔?」。答えるのは、イタリア映画大好きなバンジョーです。

ストーリーテラー=松尾伸彌

画=Ayano

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ケ・セラ・セラ

こんなお悩みが届きました。20代の女の人からです。

「就職して3年がたちます。直属の上司というか先輩(30代後半・男性)がすごくいい人で、やさくして、親身になってあれこれと指導してくれます。その人が、つい最近、ほかの課の若い男性社員に向かって、ものすごく乱暴な口調で怒り狂っているところに遭遇しました。夜遅くに使っていない会議室の前を通りかかると、怒鳴り声が響いていて、そのうち、バンッてドアが開いて上司と違う課の先輩が現れたのです。
やさしい上司の裏の顔……って感じです。あまりのショックに声もかけられず、それから、その上司ともうまく話せません。また、それ以来、上司も私を避けているようです。人間不信になりそうです」

うむむ。信頼していたはずのやさしい上司が、実はめちゃくちゃ怖い人だった、ってことですね。
今回はバンジョーに相談することにしました。なにごとにも「ケ・セラ・セラ——なるようになるさ」という人生観の持ち主。まだ若い相談者には、そんなおじさんからのアドバイスもいいんじゃないか、と、思ったわけです。

バンジョーとはいつものように夕方少し前に、麻布にある小さなバーで待ち合わせです。

「裏の顔、かぁ……」
と、相談を持ちかけるとすぐに、バンジョーは困ったような顔つきで首を振ります。そんなに深刻になることではないですよ、という意味をこめて、私は微笑みながらバンジョーの横顔に言葉を投げました。
「バンジョーさんみたいに、ケ・セラ・セラ……なるようになるさって達観することが大切かなって思ったんですけどね」
「なるようになるさって言うか……そもそも、誰だって裏の顔っていうか、ふだん見せてない顔っていうのは、あると思うんだけどねぇ」
「でも、ぼく、バンジョーさんが怒り狂ってるのって、見たことないですよ。いつも穏やかでやさしい人って感じ……」
私がそんなにふうに言うと、ちょっと驚いた顔でバンジョーは私を見て、それから、カウンターの上の小さなグラスを手に取りました。スペインのシェリー酒、ティオ・ペペです。
「それは、あれだね」
と、バンジョーはおかしそうに言います。
「松尾さんが、いつも怒ってるからじゃない? ウリャアとかコリャアとか、ナメとんのかワレェ、とか」
「そ、そんなこと……」
ないですよ、と、言いきれないところが私の悲しいところです。まぁ確かに関西人風にすぐキレちゃう人……ってところは、この年齢になるとさすがに反省すべき点だと思ってます。

「人には幅と奥行きがある……確かイタリア映画のセリフ、知ってる?」
「幅と奥行き?」
「ヴィスコンティだったかなぁ……忘れちゃったけど」
「なんですか、それ」
「いや、だから、人間はそんなに単純なものじゃないってこと……いい面も悪い面もあるし、奥行き……つまり、年輪みたいに、若いときから積み重ねてきた歴史があるってこと」
「ふむ」

幅と奥行き……つまりは、人間は単純なものではなく、性格とかその日の気分とか、はたまた生きてきた道程があるんだよってことですかね。

「なんて映画ですか?」
「いや、それが……忘れちゃったんだよ」
「ふーん」

人間の幅と奥行き

イタリア映画の記憶……これもまたバンジョーの奥行きってことでしょうか。さまざまなシーンやセリフの小さな断片が彼の歴史のなかにキラキラと刻まれているってことです。

「だから、この上司のことも、幅と奥行きがあるんだから、認めてあげなさいってことですかね」
私はバンジョーの横顔を見つめます。
バンジョーは少し考えてから、ゆっくりと言いました。

「っていうか……ちょっとしたワンシーンを見て、すぐに裏の顔だとか決めつけないほうがいいってことかなぁ。わかんないもんね、わざわざ使ってない会議室に呼び出して、ほかの課の若い人に怒ってた事情もさ」
「まぁ確かに、そこはいろいろありそうですよね」
「関心持つべきは、そこのところだと思うんだよね。なぜ、その上司が夜の会議室に違う課の若いやつを呼び出して怒鳴ったのか……かなりの事情がありそうだよね。それこそが仕事とか人間関係の深いところっていうか……」
「この女の人が直接、怒鳴られたわけでもないし」
「そうそう。その上司にしても、そういうところを見られちゃって、なんか気まずいから、ちょっとチグハグしちゃってるわけでしょ」
「…………」
「実際、若い社員に接するのは、いまの時代、いろいろと気をつかうと思うよ。すぐにハラスメントだって言われちゃうからね。だから、怒鳴ってる姿を見られるっていうのは、かなり気まずいと思うなぁ」
「確かに」

ウリャアとかドリャアとか怒鳴り散らして気まずくなる……というのは個人的に経験があるので、ここは上司に同情したくもなります。

「どうしたらいいんですかね」
と、思わず、私は情けない顔つきで聞いてしまいました。

「だから、幅と奥行きなんじゃない?」
「…………」
「人間誰しも、見たままとか話したままってことはないわけだからね。情けないところとか、恥ずかしいところとか、いっぱいあるわけでしょ? そこを想像するっていうか、当たり前なんだって思ってないと……。やさしくて親切で思いやりがあって……ずっとそれだけ、なんて上司、いるわけないし」
「いやいや、パンジョーさんは、そういう人ですよ」
と、私が言うと、バンジョーは派手に肩をすくめました。

「そんなわけないのは、松尾さん、よく知ってるでしょ? フリフリで、いっつもからかってくれてるじゃない?」
「…………」

今日はバンジョーのほうがオトナってことで、私はただ黙っているしかなさそうです。

決めるのが早すぎる

「このところよく思うんだけどさぁ」
と、夕暮れどきのバーのカウンターになじんだ態度で、バンジョーは肩を落としてティオ・ぺぺをなめています。

「みんな、決めつけるのが早いよね」
「と言うと?」
「なんでもかんでも、三ツ星がどうしたとか、人気ナンバーワンだの最低評価だのってあたりからはじまってさ、いい悪いの判断が早すぎる気がするんだけど」
「確かに、それはあるかも、と思いつつ、それって、ぼくたちが年取ったからじゃないですかね。最近の若い人はのぉ……」
と、私は杖を手にしてぶるぶると震えているように声を絞りました。
「みんな決めるのが、早すぎるんじゃよぉ、みたいな……いまや、世界的に、決済とか決断のスピードを求められる時代ですからね。とにかく、パッパと素速くスイッチを入れ替えてるんじゃないですか」
「パッパと素速くスイッチ……って、ゲームのコントローラーじゃないんだから」
と、バンジョーは苦笑します。

「でも、みんなそうですよ。チャカチャカと、忙しく決めてかからないと、一歩も前に進めないって感じじゃないですか」
私もカウンターのビールグラスに手を伸ばして、ひとくち、口にふくみます。いつになく、苦いビールだったりします。

「3年間ずっとやさしい上司って思ってたんだよ。それが、一度ドアの向こう側で怒鳴ってたからって……人間不信になりそうって、どうなんだろうね」
と、今回のお悩みのそこの部分を引き合いに、バンジョーは嘆くのです。

「ダメなものはダメ、なんですかね」
私はそう言いつつ、まさに、おじさんふたりの飲み屋の会話だと苦笑するしかありません。

「許せないのかなぁ。もっと、いいかげんでいいのにね」
と、バンジョー。
「なんですかね……人間の幅と奥行きなんてことは、年取らないとわからないってことかもしれないですよ」
「うーん」

麻布の小さなバーのカウンターに、ゆるゆると夜が忍び寄るのでした。

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