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最終更新日:2023.08.18 公開日:2023.01.30

アバルトの直線番長!「フィアット・リトモ・アバルト125TC/130TC」──80年代ホットハッチの名車たち(第2回)

ホットハッチ全盛の80年代。イタリアはモータースポーツの名門「アバルト」の名を冠した高性能モデルを送り込む。普通のクルマでは満足できないドライバーたちを魅了した「フィアット・リトモ・アバルト125TC/130TC」とは如何なるクルマか。自動車ジャーナリストの武田公実氏が解説する。

文=武田公実 

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フォルクスワーゲン・ゴルフGTIが脚光を浴びる中、フィアットはモータースポーツの名門「アバルト」の名を冠した高性能モデルを送り込む。それが「リトモ・アバルト125TC」だ

 コンパクトな実用ハッチバック車をベースとする高性能モデルが、スポーツカーの新たなジャンルとして認知され始めた1980年代。この時期には本家たるヨーロッパのほか、日本からも人気の「ホットハッチ」、あるいは「ボーイズレーサー」とも称された魅力的なモデルたちが数多く登場した。

 そんなクルマたちをご紹介するのが、「80年代ホットハッチの名車たち」。第二回となる今回は、かつて日欧の若者たちを魅了したホットハッチの中から、ひときわ硬派な一台、チューナーのみならずレーシングカーコンストラクターとしても名を馳せた名門「アバルト」の手による「フィアット・リトモ・アバルト125TC/130TC」をご紹介しよう。

野生のイノシシになぞらえられた、硬派なホットハッチ

1978年に登場したフィアット・リトモをベースに、リトモ・アバルト125TC/130TCは開発された

 フォルクスワーゲン初代ゴルフの成功で、横置きエンジンのFF+2BOXハッチバックのスタイルが小型車の定型となった1970年代後半。フィアットも負けじと1978年のトリノ・ショーにてデビューさせたのが、大ヒット作128の後継車に当たる「リトモ(Ritmo:リズムの意)」だった。

 イタリア車らしくスタイリングにもこだわったリトモは、名門カロッツェリアのベルトーネが内外装のデザインを担当。バンパーと一体化して丸型2灯のヘッドライトを際立たせたフロントマスクなど、極めて個性的かつ魅力的なスタイルを身上とするクルマとなった。

 そしてフィアットは、リトモの販売促進を図るための重要な方策としてモータースポーツを選択。そこでマシン開発からチーム運営まで担当したのが、既にフィアット・グループ傘下に収まって7年目を迎えていた「アバルト」だった。

 リトモ発表直後となる1978年10月の「ジーロ・ディタリア」では、1.5リッターSOHCエンジンを搭載する「リトモ75」をベースとしたFIAグループ2マシンを仕立ててクラス優勝。さらに翌年からは、フランスの「トゥール・ド・フランス」にも挑戦したほか、世界ラリー選手権(WRC)シリーズ戦にもサテライトチームからスポット参戦した。

 中でも最高のトピックとなったのは、1979年のジーロ・ディ・イタリアだろう。イタリア国内各地のサーキット、ないしは公道を使用したSS/ヒルクライムを約1週間に亘って渡り歩き、各セッションの総合タイムを競うこの壮大なレースは、ノンタイトル戦ながら当時のイタリアでは注目度抜群のイベントだった。

 前年、リトモ75でクラス優勝を果たしたフィアット&アバルトは、この年リトモに、WRCチャンピオンマシン「131ラリー・アバルト」用2リッターDOHCを詰め込んだ「リトモ2000アバルト」を製作。同じくアバルトが開発した、遥かに格上のグループ5シルエットフォーミュラマシン「ランチア・ベータ・モンテカルロ・ターボ」に次ぐ総合2位に輝いたのである。

 そして、この栄光から約2年後となる1981年に登場した「リトモ・アバルト125TC」は、ジーロ・ディ・イタリアで活躍したリトモ2000アバルトの実質的なストラダーレ(ロードカー)版とも言うべきモデルだった。「TC」はDOHCであることを示す「ツインカム(Twin Cam)」、あるいは「トゥリズモ・コンペティツィオーネ(Turismo Competizione)」のイニシャルと言われている。

フィアットカラーにペイントされたラリー競技用のリトモ・アバルト125TC

仮想ライバル、VWゴルフGTIを圧倒

 起源を1958年まで遡ることのできる伝統のブランド名「フィアット・アバルト」としては初めてのFF車だが、エンジン自体は標準型131シリーズ高性能版に搭載された2リットル直列4気筒DOHCに若干のチューンを施したもの。それでも、1基のツインチョーク・ウェバーキャブレターが装着されたエンジンは125psを発揮。190km/hのマキシマムスピードを標榜し、ホットハッチというジャンルの開祖とも言うべき仮想ライバル、VWゴルフGTIの182km/hを圧倒した。

 いっぽう、サスペンションのセッティングにはアバルトのレース経験が色濃く反映され、当時としては第一級のホットハッチに仕立てられていた。さらにエクステリアでも、前後のスポイラーや超扁平タイヤと専用アロイホイールを装着。インテリアにもアバルト製のステアリングホイールや専用スポーツシートが装備され、アピアランスの面でも魅力たっぷりの一台に仕上がっていたのだ。

 ところが、125TCの寿命は意外にも短いものとなった。翌’82年にリトモ・シリーズ全体に大規模なフェイスリフトが施され、その前年にデビューしたばかりのリトモ・アバルトにも丸型4灯ヘッドライトの新ボディが与えられることになる。

丸形4灯がフィアット・リトモ・アバルト130TCの証。左テールランプの上部には「FIAT ABARTH」のバッジが輝く

 このマイナーチェンジでは、同時にエンジンもスープアップされ、新たに「130TC」を名乗った。4気筒DOHCエンジンはツインチョークのウェバーキャブレターが2基に増設された上に、電子制御イグニッションシステム「デジプレックス」も新採用され、130psまでパワーアップされるに至った。

 いずれの「リトモ・アバルト」も豪快なモデルだったが、特に130TCは、当時のこのクラスでは最強のパワーとスピードを誇る一方、操作系の重さや強めのアンダーステアなどから、野生のイノシシになぞらえられるほどに直線番長。まさしく硬派なホットハッチだった。しかし、そのキャラクターが却って愛され、日本でも高い人気を博することになったのだ。

 1985年になると、リトモ・シリーズにはフロントグリルが若干丸みを帯びるなどの2度目のマイナーチェンジが行なわれる。そして130TCにも、ほかのリトモに準じたモディファイが施されたが、1987年を最後に惜しまれつつ生産を終えることになったのである。

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