【旧車トリビアクイズ】トヨタ・ランドクルーザーの原点「BJ型ジープ」は富士山何合目まで登った?
憧れのクルマや名車のヒストリーから、3択クイズを出題。旧車トリビアクイズに挑戦して、雑学を身につけよう! 第4回は1951年に作られた「トヨタ・ランドクルーザー」の原点「BJ型ジープ」が持つ記録について。
【問題】
悪路に強いタフなクルマとして、世界的な人気を誇る「トヨタ・ランドクルーザー」。始まりは、1951年に当時の警察予備隊向けの車両として開発された「BJ型ジープ」だった。
当時の開発陣は、このクルマの性能の高さを証明するため、登坂テストにチャレンジ。自動車として初めて富士山〇合目までの登山に成功した。〇に入る数字はどれでしょう?
1. 4合目
2. 5合目
3. 6合目
⇒正解は次のページ。
【正解】3. 6合目
「BJ型ジープ」の誕生
1950年に朝鮮戦争が勃発し、日本国内の治安維持のために警察予備隊(現在の陸軍自衛隊)が設置された。警察予備隊と米軍の要請を受けて、トヨタはランドクルーザーの原点となる「BJ型ジープ」の製作を開始する。
しかし、正式採用されたのは三菱が当時、ノックダウン生産していたウィリス・オーバーランドの「CJ3B型ジープ」だった。敗れた「BJ型ジープ」だったが、後に国家地方警察のパトロールカーとして採用されている。
悔しさからの富士登山
当時の技術者たちの間には、自分たちのクルマの性能はどのメーカーにも負けていないという自負があった。
それを証明するため、当時米軍のジープが持っていた「富士山5合目まで走破」という記録に挑戦した。
「BJ型ジープ」は5合目までは3時間ほどで到達すると、続けて6合目を目指した。滑りやすく不安定な岩場をさらに6時間かけて走り、ついに6合目へ到達。当時の記録を塗り替えた。
名前を変えたワケ
その後「BJ型ジープ」は民間用に転換され、1953年に量産を開始する。「ジープ」の名前は、ウィリス・オーバーランドの商標だったため、1954年に名前を「ランドクルーザー」に変更した。
名前の由来は、「Land(陸)」と「Cruiser(巡洋艦)」を合わせた言葉で、「陸の巡洋艦」という意味がある。
巡洋艦は、遠洋航行可能な高速性と攻撃力を持つ船のことだが、高い走行性とタフさを併せ持つランクルは、まさに陸の巡洋艦の名にふさわしいクルマと言えるだろう。