さよならエンジン時代のスーパーカー。それでもスーパーカーの未来が明るいと言える理由
電動化がいっそう進む自動車業界で、まもなくエンジン時代のスーパーカーが終わりを迎えようとしている。スーパーカーの未来はいったいどこに向かっているのか? フェラーリからマクラーレンまで、世に存在するありとあらゆるモデルをドライブしてきた当代きってのモータージャーナリスト、西川 淳が回答する。
スーパーカーとは何者なのか
昭和40年生まれ、だから、ゴリゴリのスーパーカー世代。多感な小学校高学年の頃にブームの洗礼を受けたものだから、同輩ともども一生”スーパーカー”を追い求める人生になった。高じていわゆる「自動車評論家」(それもスーパーカーメインの)というのはデキ過ぎだったとしても、フェラーリに乗りたい一心で自動車メディア業界に潜り込んだことは間違いない。
ギョーカイ人生も早30年。思えば仕事はもちろんプライベートでも数々のスーパーカーに乗ってきた。子供の頃に憧れたフェラーリ BBやランボルギーニ カウンタックから、果てはハイパーカーブランドのブガッティ、パガーニまで、マーケットシェアでいえば99%のモデルを体験しただろう。
心残りといえば、コンセプト的に「スーパーカーの元祖」というべきフェラーリ 250LMを試したことがないくらいか。実質的なスーパーカーの元祖であるランボルギーニ ミウラは幸いにも何度となくドライブすることができた。逆にもっとも印象に残ったモデルを一台あげろと問われれば、躊躇うことなくマクラーレン F1と答える。
車名を挙げた5台に筆者の思うスーパーカーの純定義が全て現れていると言っていい。言ってみればスーパーカーピューリタンの信条だ。
5台に共通する点は、「12気筒のエンジンをリアミドに積んだ3ペダルマニュアルミッション車であること」。12気筒エンジン(もちろんそれ以上でもいいが)をキャビンの背後に積んで初めて、普通のクルマとは違う、すなわちスーパーなシルエットが”必然的”に生まれ、同じ時代に走る他のクルマとはまるで違うスタイルとなって人々を驚かせる存在となりうる。
8気筒や10気筒でも良いが、その場合もまた純粋にリアミドシップでなければならない。6気筒になってしまうとV型ではエンジンも小さく、結果的にスタイルがまとまってしまう。ストレート6ならM1のように違和感があってスーパーだ。
もう少し条件を緩めたとしても「8気筒以上のエンジンをフロントもしくはリアにミド置きとするモデル」、がギリギリである。以上、まとめて言うと「マルチシリンダーエンジンを前後アクスルの間に積んでキャビンレイアウトを犠牲にした結果、ワッと驚くカタチを手に入れたクルマ」が、筆者の思うスーパーカーだ。
電動化の是非
ところが最近、当のスーパーカーブランドからこのピュアな信条を”裏切る”新型車が出始めた。マクラーレン アルトゥーラやフェラーリ 296GTBといったV6プラグインハイブリッドモデルだ。スタイリングは見紛うことなくスーパーカーであり、パフォーマンスも同ブランドの他車と比較しても遜色ないか上回っている。
PHEVということで大きめのバッテリーをミドに積むため、そのためのスペースとしてマイナス2気筒と考えることもできる。つまり大きなパワーユニットをミドに積めばスーパーなスタイルになるという信条には適っている、ということだ。
とはいえ、これらは過渡期のモデルに過ぎない。メジャーなスーパーカーブランドはすでにフルエレクトリックモデル(BEV)の準備をはじめており、近い将来、ロードカービジネスにおいてはマルチシリンダーどころかノーシリンダー主流になっていく。合成燃料など一縷の望みはあるのだが……。
電動化、スーパーカー界でも待ったなし。もとより電動化はマイクロカー分野とスーパーカーや超高級車分野の二極から始まるというのが持論。いずれも対照的な意味でインフラ(バッテリー容量)や価格といったBEVの抱える現在の問題を超えやすいからだ。今ある姿のクルマをそのままBEVに置き換えようとするから話が難しい。自動車メーカーとしてはそうするほかないから、その間隙を縫ってアップルやソニーがやってくる。そこに国や地域の政治的かつ経済的な戦略という思惑が重なっているのでややこしい。
とまれ、スーパーカーのいっそう電動化はやむをえない。となると筆者の掲げる信条は儚くも崩れ去ってしまう。マルチシリンダーエンジンをもっとも良い場所(車両の中心、当然、人にとっても良い場所)にレイアウトすることで生まれる突拍子もないカタチこそスーパーカーのスーパーたる所以、という原則が成立しなくなるからだ。
スーパーカーの未来は明るいか?
そう、エンジン時代のスーパーカーは終焉するだろう。子供の頃から憧れた「でっかいエンジンを背負って走る」スーパーカーは時代遅れになっていく。寂しいけれど、仕方ないよなぁ。そんなとき、一筋の光明が差し込んだ。古臭いスーパーカー信者には輝かしすぎる光だ。
ゴードン・マレーのGMA T.50、同T.33である。いずれも新開発のV12自然吸気エンジンをリアミドに積み、基本は3ペダルの6段ミッションでリアを駆動する3シーター(T.50)もしくは2シーターの「ザ・スーパーカー」だ。ボディサイズはポルシェボクスター級というから運動性能も大いに期待できる、というか、ゴードンは”乗って楽しいこと”を最大限追求するスーパーカーを作ろうとした。そう、彼自身が設計したマクラーレンF1を超えるエクスペリエンスを提案しているのだ。
ゴードンにしてみれば、”マクラーレンF1以降、スーパーカーブランドは一体何をやっていたんだ?” ということなのだろう。確かに筆者の記憶も上書きされることなく現代に至っている。GMAの送り出す2モデルは、20世紀的スーパーカー最後のモデルになりそうだ。いずれも100台の限定生産で、お値段2億円以上というから、その存在までもが子供の頃に見た夢のスーパーカーに立ち戻ってしまうほかないのだけれど、それもまたいい。
ところで、BEV時代のスーパーカーはどうなるのだろう? すでにリマック・ブガッティやロータスといった電動ハイパーカーブランドは数多く存在している。いずれもがエンジンスーパーカーを大きく上回る加速と、エンジン搭載車にはありえないスタイリングで一部のマニアを喜ばせているのだ。
そう、これからはエンジンの大きさを気にしなくていい、”自由なデザイン”の時代がやってくる。スーパーカーに限らず、BEV時代には今までより一層、デザイナーの創造力が試される時代になるだろう。ボクらのスーパーカー時代(マルチシリンダーエンジンのミドシップカー時代)はもうじき終わるかも知れないけれど、また新たなスーパーカー時代がやってくるのだと思うと、それはそれで楽しみだ。奇想天外なスーパーカーの出現に期待したい。筆者自身はおそらく”クラシック”(=エンジン付き)を可能な限り楽しむだろうけど。