吉田 匠の『スポーツ&クラシックカー研究所』Vol.06「番外編」英王室御用達のSUV「ランドローバー・ディフェンダー」は、なぜ世界中で愛される車になったのか(前編)
モータージャーナリストの吉田 匠が、古今東西のスポーツカーとクラシックカーについて解説する連載コラム。第6回は番外編として、イギリスが世界に誇るSUV専門ブランドの「ランドローバー」をご紹介。同社の代表的モデルのひとつ「ディフェンダー」の歴史と共に、前中後編の3回に分けてお届けする。今回はその前編。
元祖ジープより進歩的だった!?
イギリスのランドローバーといえば、サルーン&スポーツカーのブランドであるジャガーと企業として一体化したジャガー・ランドローバー社のなかの、SUV専門ブランドとして知られる。トップモデルのレンジローバーを皮切りに多彩なSUVのラインナップを持つのは、ご存知のとおりだ。
最初のランドローバーの誕生は、第二次世界大戦終結から3年後のこと。イギリスの上質な乗用車メーカーだったローバー社が、当時のイギリス政府の輸出振興策に沿って開発したのが、路面を選ばぬ走破性を持った万能四輪駆動車、その名も「ランドローバー」で、1948年4月のオランダ、アムステルダム自動車ショーにデビューした。
実はこれ、第二次大戦中に活躍したアメリカのウィリス・ジープを範としたもので、梯子型フレームに簡潔なオープンボディを載せたクルマだったが、フレームに強固なボックス断面構造を採り入れ、二駆四駆切り替え式だったジープと違って初期型は簡易な常時四輪駆動方式、つまりパーマネント4WDを採用、当時のイギリスの鉄鋼不足の影響もあってボディをアルミ製にするなど、多くの点で元祖ジープより進歩的だった。
基本的には直線基調の簡潔な造形ながら、フェンダーの先端に独特のカーブを配するなどした、ジープとは明らかにひと味違うスタイルを持ったこのランドローバーこそ、今日のディフェンダーの直接の祖先にあたるクルマだった。ちなみに「Land」とは、陸地、土地、地面、という意味に加えて、田園とか田舎とかいった意味合いも持つから、さまよう者という意味を持つ「Rover」と掛け合わせた車名には、様々なイメージが浮かんでくる。
エンジンはまずはガソリンの4気筒、やがてディーゼルの4気筒も搭載され、4段ギアボックスに高速ギアと不整路用の低速ギアを持つ2段トランスファーが組み合わせられた。前期のように極初期は常時四輪駆動だったが、やがてジープなどと同じ切り替え式のパートタイム4WDに変更される。サスペンションは当時の実用車の多くがそうだったように、前後ともリーフスプリングによるリジッドアクスルという堅牢な方式だった。
1950年代の日本でもすでに走っていた
さてこのランドローバー、素晴らしい悪路走破性に加えて、簡潔ななかにイギリス車らしい佇まいを滲ませたスタイリングも功を奏したか、発売されるやローバー社の目論見どおりにイギリスのみならず世界中で好評を博し、発表から4年後の1952年に生産5万台を達成、以降、54年に10万台、59年に25万台という風に、生産台数を伸ばしていった。
今から数年前、有名な自動車メーカーの歴史を収めたビデオの翻訳版を監修する仕事をした際、ランドローバーに関して、「世界中の多くの人にとって、初めて目にしたクルマがランドローバーだったはずだ」という表現があって、これはどういう意味でしょうと編集者に尋ねられたことがある。
そこで思い浮かんだのは、例えば1950年代のアフリカなど、乗用車が普及していない地域の人々にとって、探検用や開発用に使われて道を選ばず走っていたランドローバーが、初めて目にするクルマだった可能性はきわめて高いという事実だった。つまり、それだけ世界中に輸出され、しかるべき用途に使われていた、ということである。
とはいえもちろん、おそらくユーザーが最も多かったのは生産国イギリスで、かつて英国車の試乗会などでイギリスのカントリーサイドを走っていると、農家の軒先や大きな農園の入り口に、そのどこか男らしい凛とした姿を数多く見掛けたものだった。
一方、ランドローバーは1950年代の日本でも走っていた。戦前にイギリス留学した英国通の白洲次郎が東北電力の会長だった頃、当時は日本に代理店のなかったランドローバーを輸入させ、自らステアリングを握ってダムの建設現場などを走り回っていたという。