崩れる・滑る・止まらない! イタリアと雨の複雑な関係
イタリアの美しい街並みは、お洒落と危険が表裏一体!? 雨の日のイタリアの交通事情について、現地在住の人気コラムニスト・大矢アキオがお届けする。
美しき旧市街に浮かれるな
日本で春といわれる時期、イタリアで大半の地域は、まったく春ではない。寒いのだ。
筆者が住むトスカーナ州シエナの平均気温をみても、それは明らかである。4月は12-13℃、5月も16-17℃に過ぎない。4月のトスカーナは、毎年この世の終わりかと思うような雨が降り続く。ときにロシアからの冷風も吹き荒れる。
日本の知人からソメイヨシノの写真とともに「イタリアの春はいかがですか?」なとどいう無邪気なメッセージが舞い込んでも、こちらとしてはマウントをとれる写真も言葉もない。
いっぽう筆者はイタリアで、日本でなかなか知ることができない、雨にまつわる経験をしてきた。たとえば歩道。美観を重視し、アスファルトではなく煉瓦を敷き詰めている場所がある。
ところが基礎工事が完璧でないことから、完成後しばらくするとガタガタになってしまうのだ。雨の日や雨上がりに踏むと、煉瓦と煉瓦の間に溜まった泥水がピュッと吹き出す。靴を汚すどころか、運が悪いとズボンの裾から脛まで水が跳ね上がって情けなくなってくる。
それは、ある程度避けて歩けるからよい。笑えないのは「古い建物の一部が崩れる」ことだ。ある日、我が家の近所で、朝から消防隊の建機が出動しバリケードが張られていた。何があったのかと聞けば、5階建ての館の壁面装飾の一部が脱落したのだった。そうしたものは大抵、石で作られている。たしかに路面には、石の破片が散乱していた。建機は、落ちずに宙ぶらりんに残った石材を撤去していたのだった。
石でできた建築物の部材が雨を含んで重くなり、結合していた部分がもろくなって落下してしまう事故は、イタリア各地で年間を通じて起きている。2010年にはシエナのとある広場で、屋外夕食会の最中にバルコニーの一部が落下。真下のテーブルで食事をしていた姉妹都市の来賓が亡くなるという痛ましい事故があった。
「旧市街では建物の軒下を歩いてはいけない」と子どもに指導しているイタリア人の親を知ったときは驚いたものだが、そうした事例を見て、ある種のサバイバル術なのだと思った。
連結器が迫ってきた!
イタリアで雨の時期といえば、乗り物にまつわる経験も少なくない。シエナ旧市街は他のイタリア都市同様に歩行者を優先させるため、一般車の進入規制が敷かれている。
幸い住民は指定の月額料金を市に納めれば進入・駐車できる。だが、クルマの使用頻度が低い人は、旧市街の外に路上駐車しておくドライバーが少なくない。筆者も旧市街に住んでいたとき、そうしていたが、それが災いを招いた。
シエナはトスカーナ中世都市に典型的な、丘の上に作られた街である。海抜は322mだ。路上駐車場所は、つづら折りの坂道脇が少なくない。ある大雨のあと、筆者が何の気無しにクルマに乗り込もうと思ったら、なんと土砂崩れが発生していて、泥が筆者のクルマの片側に押し寄せていた。情けないことに、カタツムリまで一杯張り付いていた。完全にきれいにするため、コイン洗車場で硬貨を何度も何度も投入しなければならなかったのを憶えている。
そうした筆者個人に降りかかった災厄とは別に、どのクルマにとっても厄介なことがある。ずばり「石畳」だ。先に説明しておくと、往来によって擦り減ってしまった石は随時取り替えられる。石材を現場で切る→道に嵌める→石工が滑り止めの溝をノミで彫るといった工程だ。
それでも、欧州系パーツサプライヤーの人に聞いたところ、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)の開発において、濡れた石畳での作動は、意外に高度な技術を要するという。加えて石の質、大きさ、そして敷き詰めるパターンは、国・地域によって無数のバリエーションがある。技術陣の苦労が偲ばれる。
近年自治体によっては、補修費用節減のためコンクリートに石畳風の溝を刻んで済ませるところもある。だがさすがに目抜き通りは美観上そうはいかないし、市民の間でもそうした疑似的なものは”コミュニストの石畳”と呼ばれ評判が悪い。というわけで、ABSの天敵・雨の石畳は残り続けるのだ。
もう少し大きな街では、路面電車の線路にも注意が必要だ。筆者の知人は北部の大都市ミラノで怖い思いをしたという。雨の日にクルマを運転していたら、レール上でスリップしてしまったのだ。市電の軌道がある場所は、かなりの確率で上述の石畳も敷かれているから、さらに厄介だ。
ちなみに本人によると、それ以上に怖かったのは、「連結器」だったという。ミラノでは古い市電も数多く現役で、そうした車両の前後に付いた連結器は、写真でご覧いただけるように棒状である。スリップ直後、自分のクルマのウィンドーにみるみる鉄棒が迫ってきて、「もうダメかと思った」と回想する。
煽り運転なんて、とてもできない
本稿を執筆している5月半ばを過ぎてもまだ天気が定まらず、雨模様が続く。それでもイタリアでは2021年4月末から大半の州で新型コロナウィルスによる移動制限が緩和され、ようやく居住する市の外に出ることが許された。
これは嬉しい。雨にもかかわらず、隣町まで女房を乗せて買い物に行くことした。日本でいえば、東京都心と横浜くらいの距離である。せっかくなので、スーペルストラーダ(自動車専用道路)を使わず、中世の巡礼路でもある旧道を使うことにした。
するとワイパーが往復する向こうに、1台の3輪トラックが見えた。同じトスカーナ州でピアジオ社が製造している「アペ50」というモデルである。
このクルマ、エンジンはガソリン空冷2サイクルの50cc。つまり原付2輪車と同じと考えてよい。クローズドボディの室内は折からの雨による湿気で曇っている。以前乗ったときの経験からすると、室内はけたたましい騒音に包まれているはずだ。荷台には小屋のようなものを載せている。恐らくオーナーの手作りであろう。
イタリアの天気に話を戻せば、実は雨の4・5月のあと、5月末にはアフリカからのシロッコ(熱風)が吹き始め、街には新作水着の広告ポスターが溢れ始める。一気に夏が来るのだ。在住25年の筆者が春物の服をほとんど持っていないことからも、春の短さがわかる。
3輪トラックの最高速は最新型のカタログ値でも38km/hだ。それでも懸命に走る姿に、追い越す気は起きなかった。もちろん煽り運転などという野蛮な言葉も思い浮かばない。
代わりに「夏まであと少しだ。がんばれー」などと声をかけながら、相手が農道に逸れて姿を消すまで後について走った筆者であった。おっと、夏になったらなったで、3輪トラックの内部はやたら暑いのだが。