ポルシェ・911【下野康史の旧車エッセイ】
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。今回は「ポルシェ911」。
イラスト=waruta
2020年に東京でオリンピックが開かれる。東京でまた生のオリンピックが観られるなんて幸せだ、と感慨に浸っている人は、ぼく同様、間違いなく「人間のベテラン」ですね。
ポルシェ911は、スポーツカーのベテランである。発売は1回目の東京オリンピックが開かれた1964年。大がかりなモデルチェンジをこれまでに6回経験しているが、見た目はそう変わっていない。カタチはいつだれが見たって911だ。
しかし、スポーツカーのベテランでも、デビュー以来半世紀以上、性能のアップデイトには余念がなかった。リアエンジンという特異な形態にもかかわらず、スポーツカーとして常に第一級の性能を身につけている。
そのポルシェ911に初めて触れたのは、忘れもしない75年の夏だった。アルバイト先の社長Tさんに連れられて、目黒のディーラーの試乗会へ行ったのである。Tさんは「いつかはポルシェ」を公言する年季の入ったクルマ好きだったが、当時のぼくは、中古ハコスカで自動車人生をスタートさせたばかりのクルマ好き1年生だった。911なんて、まったくアナザーワールドのクルマで、好きとか嫌い以前の存在でしかなかった。その日も、ひとりで行くのは気がひけるからというTさんの”ダシ”に使われたようなものだった。
高価な高性能車だから、試乗会といっても、運転はさせてくれない。あくまで同乗の体験走行である。しかしTさんはいい人で、順番がくると、自分は窮屈なリアシートにさっさと乗り込み、助手席を譲ってくれた。
左ハンドルのステアリングを握るのは、ツナギを着たメカニックである。75年型911Sはディーラーの車寄せから目黒通りに出た。そして、日曜日の空いた2車線ストレートをなんといきなりフル加速した。”シャーン”という空冷水平対向6気筒のチェーンソーのような金属音が何度かピークに達したかと思うと、こんどは一転、フルブレーキング。ドライバーの足元でシューズがせわしなく動くのを見て、感動した。これがあのヒール&トーか!
もちろんそれ以上に感動したのは911というクルマそのものである。目からウロコとはこのことだった。世の中に、こんなクルマがあったのか! クルマにこんな世界があったのか! だって、中古の国産GTセダンしか知らなかったイタいけな青年(当時)に、いきなり「全開ポルシェ」である。
白日夢のようなその911体験を反芻したくて、それからほどなく、神田神保町の古本屋で1冊の自動車専門誌を手に入れた。今まで一度も読んだことがない高い専門誌を買ったのは、表紙も特集もポルシェ911だったからだ。
そして3年後、ぼくはその雑誌の編集部に就職した。以来、自動車マスコミの世界に籍を置いているのは、元を辿ると目黒通りの911のせいなのである。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。
(この記事はJAF Mate Neo 2015年6月号掲載「僕は車と生きてきた」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)