初代シルビアは60年代国産車で屈指の美しさ
日産初のパーソナルクーペとして1965年に発売された初代「シルビア」。1960年代の国産車の中では、優雅で美しい外見を備えた1台として数えられていれる。そのデザインはどのようにして誕生したのだろうか。
「シルビア」というと、”デートカー”や、走りのいいクルマといった若者に人気のクルマだった5代目S13型のイメージが強い。しかし、今回紹介する初代CSP311型はそれとは大きく異なり、日産初の高級パーソナルクーペとして誕生。また、日本で初めて誕生した本格的なクーペともいわれている。
車名は、ギリシャ神話に登場する女神に由来しており、発表は1964年の第11回東京モーターショー。同社のフラッグシップセダンであるセドリックよりも高額な120万円という価格で、翌1965年4月に発売された。当時、パトカーとして第三京浜に配備されたことが話題となった車種でもある。
気品あふれる雰囲気の秘密は”クリスプカット”とセミ・ハンドメイド仕上げ
優雅なスタイリングの秘密は、”クリスプカット”と呼ばれるボディパネルにある。継ぎ目を極力少なくすることで、ボディデザインを際立たせるボディパネルが採用されたのだ。また、豪華な革製インテリアも美しいポイントのひとつだった。ただし、これらは当時の技術ではすべて機械で組み立てるには難しく、セミ・ハンドメイドで職人が仕上げを行っていたのである。工場での量産品ではなく、工芸品に近いクルマなのだ。
デザインは外国人デザイナーの監修を受けつつも日産自身で
日本は1950年代末から60年代にモータリゼーションが急速に発展したものの、デザイン面で海外メーカーの先進性を認める国産メーカーが多かった。そのため、著名な外国人デザイナーにデザインを依頼したり、日本人デザイナーを海外に派遣し、そのエッセンスの吸収が活発に行われたのである。
「シルビア」もその例に漏れない。日産の社内デザイナーは、当時のBMWなどを手がけたドイツ人デザイナーのアルブレヒト・ゲルツのアドバイスを受けて「シルビア」を形にしていった。海外のデザインセンスを自分たちの血肉として発表された車種なのである。
シャシーとエンジンはSP310型ダットサン・フェアレディ1600がベース
初代「シルビア」のシャシーとエンジンは、日産のオープントップ・スポーツカーのSP310型ダットサン・フェアレディ1600をベースにしていた。フェアレディ1600はラダーフレームのシャシーを採用していたことから、そこにクーペボディを架装して「シルビア」としたのである。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンで、リアはリーフリジット。ブレーキは前輪用に、日産車として初めてディスクブレーキが採用されたこともトピックだった。
エンジンもフェアレディ1600用の排気量1595ccの直列4気筒SOHC(OHV)「R型」が採用された。キャブレターにはSU(スキナーズ・ユニオン)社製ツインキャブを搭載し、最高出力は90馬力、最大トルクは132N・m。当初は鋳鉄ヘッドの3ベアリングが採用されていたが、1967年3月のマイナーチェンジでアルミヘッド5ベアリングに変更された。
セミハンドメイド仕上げのために生産台数は554台
初代「シルビア」は多くの若者が憧れるクルマとなったが、高額だったために販売台数にはつながらず、1968年6月までの3年強で554台が生産されるにとどまった。ここで「シルビア」は生産終了となるが、日産はその名を1代で終わらせなかった。そのまま消えてもおかしくなかったが、1975年10月になって復活させたのだ。
そしてその復活がなければ、大ヒットした5代目S13型の存在もなく、「シルビア」の名は今ほど歴史に刻まれることもなかったことだろう。「シルビア」は2002年に7代目が生産終了してラインナップから姿を消したが、近年は東京モーターショーが開催が近づく度に復活が噂されている。折しも今月は第46回東京モーターショー2019。今回もまた復活の噂が流れているが、今度こそファンの願いは叶うのだろうか?
【CSP311型「シルビア」スペック】
全長×全幅×全高:3985×1510×1275mm
ホイールベース:2280mm
トレッド(前/後):1270/1198mm
車重:980kg
サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン/リーフリジット
ブレーキ(前/後):ディスク/ドラム
【「R型」エンジンスペック】
エンジン種類:直列4気筒SOHC
排気量:1595cc
最高出力:90ps/6000rpm
最大トルク:132N・m/4000rpm