クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

Cars

最終更新日:2019.08.23 公開日:2019.08.23

三菱コルトギャラン&ギャランGTO&ギャランFTO

1960年代の三菱の主力車種だった「コルト」の名を継ぎ、1969年に誕生した「コルトギャラン」。「ギャラン」シリーズの始まりと、そこから派生したスペシャリティクーペの「ギャランGTO」と「ギャランFTO」を集めてみた。三菱車のイメージを一新させ、大ヒットした名車に迫る。

記事の画像ギャラリーを見る

 三菱自動車そのものが誕生するのは1970年のことだが、三菱としてのクルマ作りはその半世紀以上前にスタートした。1917年に当時の三菱グループの中核企業である三菱合資会社が造船部門を分社化させ、三菱造船として独立。独立したその年に三菱造船は「三菱A型」(日本初の量産乗用車とされる)の製作を開始し、三菱のクルマ作りの歴史がスタートするのである。その後、三菱造船は三菱重工業と名を改め(同車は1950~64年の間は3社に分割)、1970年にその自動車部門が独立して、現在の三菱自動車が誕生するのだ(販売を担当する三菱自動車販売は1964年に誕生)。

 話は10年ほど遡り、まだ三菱重工時代の1960年に誕生したのが初のオリジナル乗用車「三菱500」である。493ccのエンジンを積んだコンパクトカーで、これにより三菱は小型乗用車市場に参入を果たす。そして、1962年に世に送り出されたのが「コルト600」だ。同車はレースでも活躍し、それ以降「コルト」シリーズは三菱の主力として、複数の車種が発売されていく。そんな「コルト」の名を受け継ぎながらも、1969年12月に新たなコンセプトのもとに誕生したのが「コルトギャラン」だった。それ以降、長く三菱の主力セダンとして活躍することになる初代「ギャラン」である(2代目から「コルト」の冠が外された)。

「コルト1500 スーパースポーツ」。「コルト」シリーズの拡充を目的として、1965年10月に誕生したのが「コルト1500」だ。1963年に誕生した「コルト1000」と、翌64年に誕生したフラッグシップモデル「デボネア」の中間に位置する。スタイリングは「コルト1000」を継承し、全長とホイールベースを拡大。排気量1498ccの直列4気筒エンジンを搭載し、最高出力は70馬力、最高速度は時速140kmをマークした。上画像のモデルは68年8月に追加された、よりスポーツ色が強められた「スーパースポーツ」。この「コルト1500」の後継モデルが「コルトギャラン」である。

日本のモータリゼーションの進展を見据えて開発された「コルトギャラン」(1969~1973)

A52型「コルトギャラン AII」1969年式。ギャランとは英語で”勇敢な”という意味を持つ「gallant」にちなんでいる(「ギャラン」のスペルは「GALANT」)。ただし「コルト」と結音が被ることからフランス語読みとし、末尾の”T”を発音しないようにしたそうである。「オートモビルカウンシル2018」にて撮影。

 1969年5月に東名高速・東京~愛知県小牧市までの全線が開通するなど、1960年代も後半になると、日本では本格的にモータリゼーションが進展していった。自動車メーカー各社はそれを見越した新型車を投入。三菱(この時代はまだ三菱重工)は、70年代を迎えるにあたり、クルマの性格と役割が大きく変転すると推察。単なるステータスシンボルとして所有するだけでも意味があった時代から、いかに生活に密着した形で使用するかが問われる”パーソナルカー”の領域に入るとしたのである。その答えとして1969年12月1日から販売を開始したのが、三菱初のパーソナルカーである「コルトギャラン」だった。従来の「コルト」シリーズに対し、外見の美しさ、性能、居住性、静音性、豪華さを追求したコンセプトが特徴だった。海外販売も想定しており、クライスラーとの契約により、北米では翌1970年から販売された。

 「コルトギャラン」と従来の「コルト」シリーズとの大きな違いは、まずそのスタイリングにある。「コルト」シリーズは決して不人気というわけではなかったが、開発陣は”失敗”と判断。その最大の理由としたのが、よくいえば”質実剛健”、悪くいえば”地味な”シンプルすぎるスタイリングだった。そうしたイメージを刷新するために抜擢したのが、実は巨匠ジョルジェット・ジウジアーロである。ジウジアーロのデザインをそのまま採用するのではなく、彼のデザインの意匠を活かしつつ、当時の流行だったウェッジシェイプにまとめ上げたのが三菱社内のデザインチームだった(同社では「ダイナウェッジライン」と呼ぶ)。「コルトギャラン」はこれにより、大きく三菱車のイメージを変えることに成功。販売台数を一挙に伸ばし、大成功を収めたのであった。

「コルトギャラン AII」のリアビュー。全長4080×全幅1560×全高1385mm、ホイールベース:2420mm、トレッド前1285/後1285mm、車重845kg。搭乗人員5名。排気量1499cc・水冷直列4気筒4エンジン「4G31型」、最高出力95ps/6300rpm、最大トルク13.2kg・m/4000rpm。サスペンション前・スタビライザー付きダブルサポート型ストラット/後・ダブルリーフ。ブレーキ前ディスク/後ドラム。最高速度時速160km、0→400m加速17.9秒。

 また車内の広さも特徴で、1300ccと1500ccながら、1600cc車を上回る余裕があった。前席レッグスペース、後席ヘッドクリアランスにもゆとりがあり、トランクも大容量を確保。そのほかの特徴としては、事故対策が挙げられる。事故を未然に防ぐための第1次対策、乗員を衝突の衝撃から保護するための第2次対策、歩行者を保護するための第3次対策など、高速走行を前提とした、国際水準の77項目の安全対策が施されていた。

 そして「コルトギャラン」のエンジンは、”宇宙時代の高性能と信頼性を持つ”という意味合いで、土星を意味する「サターン」シリーズが新たに開発された。同社初のSOHC機構を採用したほか、完全燃焼を追求したというMS型燃焼室(※1)、クロスフロー式インテーク&エキゾーストシステム(※2)、吸気加熱装置、ダブル5ベアリングなど、当時の三菱重工が持てる技術を結集した高機能・高出力型エンジンである。エントリーグレードの「AI」には1289ccの「4G30型」(最高出力87馬力/最大トルク11.0kg・m)が、その上の「AII」には1499ccの「4G31型」(最高出量95馬力/最大トルク13.2kg・m)が搭載された。最上位グレードの「AIIGS」には、4G31型にツインキャブレターと高速型点火装置が採用され、最高出力105馬力、最大トルク13.4kg・mを実現。モータースポーツでも活躍できるスペックだった。

※1 MS型燃焼室:ロングストロークにより実現した理想的半球形の最小表面積燃焼室
※2 クロスフロー:シリンダーヘッドの吸排気形式のひとつ。左右に吸気と排気のポートが分割して設けられており、吸気から排気の空気の流れが一方通行に流れていくタイプのこと。

「コルトギャラン AIスポーツ」1969年式。「コルトギャラン」は1972年の第7回サザンクロスラリー(オーストラリア)でグレード「16-GS」が総合優勝するなど、国内外のラリーで活躍して人気を博したことから、現在でもラリースタイルの車両を所有しているオーナーがいる。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

 「コルトギャラン」は当初4ドアセダンのみが設定されたが、1970年になってから2ドアハードトップやエステートバンが追加設定され、さらに派生モデルとしてクーペタイプの「ギャランGTO」や「ギャランFTO」といったスペシャリティカーも誕生していった。その後、マイナーチェンジが行われ、ヘッドランプが角目2灯から丸目4灯となり、フロント部分の意匠を大きく変更。また、さらにその後にはエンジンも強化され、1289ccの4G30型は1439ccの4G33型に、1499ccの4G31型は1686ccの4G34型に載せ替えられた。そして1973年5月にフルモデルチェンジし、通称「ニューギャラン」と呼ばれる2代目「ギャラン」が登場、「コルトギャラン」は歴史上のクルマとなったのである。

「コルトギャラン AIIGS」1970年式。最上位グレードとして、1500ccエンジンにホリゾンタル(サイド)ドラフトタイプの英SU(スキナーズ・ユニオン)社製可変ベンチュリー式ツインキャブレターと、高速型点火装置を採用した”最強の”サターンエンジンを搭載している。最高出力105ps/6700rpm、最大トルク13.4kg・m/4800rpmにより、最高速度は時速175km、0→400m加速は16.9秒をマークした。「AIIGS」は、ラリーへのエントリーを想定したスポーツセダンで、さらに性能をアップできるスポーツキットも豊富に用意されていた。画像は丸目4灯であることから、マイナーチェンジ後のモデルであることがわかる。「オートジャンボリー2019」にて撮影した。

→ 次ページ:
続いてはスペシャリティクーペ2車種に迫る!

“GTカーとして正式に承認されたクルマ”「ギャランGTO」(1970~1976)

 「コルトギャラン」の発売を年末に控えた1969年の秋、第16回東京モーターショーで三菱重工はあるコンセプトカーを出展する。それは、乗用車市場で高まっていたスペシャリティカー志向の顧客を獲得することを目的とした「ギャランクーペGTX-1」だった。精悍で個性的なスタイリングのスポーツカーは大きな反響を得たことから、市場に投入されることとなる。

 そして翌1970年に三菱重工の自動車部門が独立して誕生した三菱自動車(設立時は三菱重工の全株保有だった)はそのプロジェクトを引き継ぎ、同年11月に「ギャランGTO」として発売。GTOとはイタリア語の「Grande Tourismo Omologare(グラン・ツーリスモ・オモロガーレ)」の略で、”GTカーとして正式に承認されたクルマ”という意味である。グレードは「MI」、「MII」、そして最上位で”ミツビシ・レーシング”を意味する「MR」の3種類が用意された。

ケニアオレンジのA53C-GR型「ギャランGTO MR」(年式不明)。全長4125×全幅1580×全高1310mm、ホイールベース2420mm、トレッド前1295/後1285。車重980kg。乗車定員5名。排気量1597cc・水冷直列4気筒DOHCエンジン「4G32型」、最高出力125ps/6800rpm、最大トルク14.5kg・m/5000rpm。サスペンション前・独立懸架式スタビライザー付きダブルサポートストラット/後・車軸固定式4枚リーフ。ブレーキ前ディスク/後リーディングトレーリング。最高速度時速200km、0→400m加速16.3秒。「お台場旧車天国2018」にて撮影。

 「ギャランGTO」最大の特徴は、ボディ、エンジン、内装のすべてを新規に設計したこと。「ギャラン」と名はつくが、「コルトギャラン」とは別物としてもいい車種だったのだ。新規設計の要素の中でも、「ギャランクーペGTX-1」で大きな反響があった通りに、スタイリングは人気の大きな要素となった。スタイリングの特徴としては、空力効果のあるファストバックと尻上がりのダックテール、2シータースポーツカー並みの傾斜角度を持ったフロントウインドー、ブラックマスクのフロントグリルと4灯式ヘッドランプなど、いくつものデザイン的な特徴があった。

 また当時の国産車としては画期的な、曲率50インチのサイドウインドーによるタンブルホーム(※3)を採用したことで、室内は高い居住性を実現。低い居住性が当然だったクーペのイメージを変えてみせることに成功したのである。

※3:キャビンのラインがクルマの最大幅の箇所よりも上側で内側に倒れ込んだデザイン

A53C型 三菱 ギャランGTO MI 1971年式|mitsubishi galant gto m1 a53c type 1971 model year

A53C型「ギャランGTO MI」1971年式。ファストバックとは、クーペボディに採用されるルーフからテールまでがつながったデザインのこと。そしてダックテールとは、トランクリッド後端がスポイラーのよう上に跳ね上がっているデザインを意味した。リアスポイラーのような効果を得られることから、空力特性的にも意味のあるデザインだった。「JCCA ニューイヤーズミーティングFinal(2019)」にて撮影。

 エンジンは、「コルトギャランAII」と同「AIIGS」で採用された1499ccの4G31型をボアアップして1597ccとし、真半球型・MS型燃焼室や吸気温水加熱式インテークマニホールドなど新機構を備えた「ニューサターンAIII」(4G32型)を開発。MIにはノーマルの4G32型(最高出力100馬力/最大トルク14.0kg・m)を、MIIには英SU社製ツインキャブレターを装着した「4G32型GS」(最高出力110馬力/最大トルク14.2kg・m)を搭載した。そしてMRには、4G32型GSエンジンをベースに三菱初のDOHC化を行い、そこに仏ソレックス社製ツインキャブレターを加えた「4G32型DOHC」(最高出力125馬力/最大トルク14.5kg・m)が搭載されたのである。

 しかし、年々厳しくなる排気ガス規制に対応できなくなり、「ギャランGTO」は1代限りで1976年に姿を消すことに。ちなみに1990年に登場した、当時の三菱らしいハイテク装備をあふれるスーパー4WDスポーツカー「GTO」はクルマの系統として直接の関係はないが、その名は「ギャランGTO」にちなんだものである。

C-A57型「ギャランGTO 2000 GSR」1975年式。1995cc・水冷直列4気筒SOHCエンジン(ツインキャブレター)の「4G52型」(最高出力115ps/6000rpm、最大トルク16.5kg・m/4000rpm)を搭載した、「ギャランGTO」の最終モデル。スペックは全高が1310mmから1335mmに、トレッド前が1295mmから1315mmに、後は1285mmから1300mmと、「MR」よりも背が若干高く、ワイドになった。そして車重も980kgから1040kgとなり、若干ながら車重も増えた。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

“新鮮なクーペスタイルのツーリングカー”「ギャランクーペFTO」(1971~1975)

 「ギャランFTO」は「コルトギャラン」から派生したスペシャリティカーの第2弾で、1971年11月から発売が始まった。「ギャランGTO」の弟分的車種で、ターゲットは若者層も含めたパーソナルユース。ちなみにFTOとはイタリア語で「Fresco Tourismo Omologare(フリスコ・ツーリスモ・オモロガーレ)」の略で、”新鮮なクーペスタイルのツーリングカー”という意味を持たせられている。

 「ギャランGTO」があらゆる部分で新規設計だったのに対し、「ギャランクーペFTO」はエンジン、ドライブトレイン、サスペンションなどの主要コンポーネントやボディの一部を「コルトギャラン」から、ドアは「ギャランGTO」から流用して開発された。ボディの特徴はショートホイールベースとワイドトレッド。全長は4mを切る3765mで、ホイールベースは2300mm。それに対してトレッドは前後共に1285mmと、「ギャランGTO」とほぼ変わらなかったのである。

「ギャランクーペFTO SL5」1974年式。当初、排気量1378ccのネプチューンエンジン「4G41型」でスタートしたが、上画像の「SL5」は1973年のマイナーチェンジで登場したモデル。排気ガス規制対策などの関係で、エンジンを載せ替えたモデルで、排気量は1439cc。そのマイナーチェンジでは、外見の変更などは行われなかった。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

 またデザイン的な特徴は、リアのスタイリングにも見られた。「ギャランクーペFTO」は2ドアクーペではあるが、ルーフからテールまでがつながったラインのファストバックと、リアウインドーとトランクルームが分かれたノッチバックを組み合わせた独自の「ファストノッチ」スタイルを採用したのである。ファストバックのデザイン上の弱点とされる後方視界の悪さとトランク開口部の制約を解決すること、そしてテール部分が尻下がりになってしまうイメージを取り除くことが目的だった。

「ギャランクーペFTO SL5」1974年式のリアビュー。ルーフからテールまでつながったファストバック的なラインである一方、トランクルームが用意されていた(リアゲートはない)。全長3765×全幅1580×全高1330mm、ホイールベース2300mm、トレッド前1285/後1285mm。車重820~835kg。乗車定員5名。排気量1439cc・水冷直列4気筒エンジン、最高出力92ps/6300rpm、最大トルク12.5kg・m/4000rpm。サスペンション前・独立懸架式マクファーソン・ストラット/後・固定ダブルリーフ。ブレーキ前ディスク/後リーディングトレーリング。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

 発売当初のグレードである「GI」、「GII」、「GIII」には、新開発のネプチューンエンジン「4G41型」が搭載された。1378ccの直列4気筒エンジンで、GIとGIIにはノーマルタイプ(最高出力86ps/最大トルク11.7kg・m)が、そして最上位のGIIIにはツインキャブレター仕様(最高出力95ps/最大トルク12.3kg・m)が搭載された。0→400m加速は、GIとGIIが18.0秒(ふたり乗車時は16.8秒)、GIIIは17.2秒(ふたり乗車時は16.4秒)という性能だった。この後、排気ガス規制対策などのため、マイナーチェンジを行って排気量1439ccと1597ccのエンジンを搭載したモデルが追加された。

A63型「ギャランクーペFTO 1600 GSR」1973年式。1973年に追加されたのが、「ギャランGTO」で開発された排気量1597ccのニューサターンAIIIエンジン「4G32型」を搭載した上画像の「1600GSR」だ。オーバーフェンダーが特徴のひとつで、若者の人気を集めた。画像は大型フォグランプを追加してヘッドランプを4灯にしてあり、ラリー仕様と思われる。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

 「ギャランクーペFTO」は、1972年に年間生産台数が2万台を超えるなど好調だったが、その後、第1次オイルショックにより失速してしまう。さらに、オーバーフェンダーで若者に人気のあった「1600 GSR」が、保安基準の改正に対応して廃止されるなどの影響もあり、1975年で生産を終了。スペシャリティカーのポジションは、1973年登場の初代「ランサー」のクーペバージョンという位置づけの「ランサーセレステ」にバトンタッチし、歴史の中に籍を移した。1994年に誕生した「FTO」はクルマとしての直接的なつながりはないが、車名は「ギャランクーペFTO」から取られている。

三菱のスペシャリティカーとしての後継モデルである、「ランサー セレステ」(画像は「1600GT」1975年式)。初代ランサーのクーペモデルという位置づけで登場した。セレステとは、ラテン語で「青空」を意味する。「オートジャンボリー2019」にて撮影。


 1960年代の三菱車の主力だった「コルト」シリーズの弱点とされたスタイリングの問題を解決し、一気にモダナイズした初代「コルトギャラン」。そして、そこから派生したスペシャリティクーペである「ギャランGTO」と「ギャランクーペFTO」を紹介した。発売から40年以上が経ち、中には50年近い車種もある中、今でも多くのオーナーに愛されているのが今回の3車種。それが納得できるたたずまいを持ったクルマたちではないだろうか。

【お詫びと訂正】
公開時、エンジン型式の表記に誤りがありましたので、正しい表記に修正いたしました。お詫びして訂正させていただきます。

記事の画像ギャラリーを見る

この記事をシェア

  

Campaign

応募はこちら!(12月1日まで)
応募はこちら!(12月1日まで)