三菱コルトギャラン&ギャランGTO&ギャランFTO
1960年代の三菱の主力車種だった「コルト」の名を継ぎ、1969年に誕生した「コルトギャラン」。「ギャラン」シリーズの始まりと、そこから派生したスペシャリティクーペの「ギャランGTO」と「ギャランFTO」を集めてみた。三菱車のイメージを一新させ、大ヒットした名車に迫る。
三菱自動車そのものが誕生するのは1970年のことだが、三菱としてのクルマ作りはその半世紀以上前にスタートした。1917年に当時の三菱グループの中核企業である三菱合資会社が造船部門を分社化させ、三菱造船として独立。独立したその年に三菱造船は「三菱A型」(日本初の量産乗用車とされる)の製作を開始し、三菱のクルマ作りの歴史がスタートするのである。その後、三菱造船は三菱重工業と名を改め(同車は1950~64年の間は3社に分割)、1970年にその自動車部門が独立して、現在の三菱自動車が誕生するのだ(販売を担当する三菱自動車販売は1964年に誕生)。
話は10年ほど遡り、まだ三菱重工時代の1960年に誕生したのが初のオリジナル乗用車「三菱500」である。493ccのエンジンを積んだコンパクトカーで、これにより三菱は小型乗用車市場に参入を果たす。そして、1962年に世に送り出されたのが「コルト600」だ。同車はレースでも活躍し、それ以降「コルト」シリーズは三菱の主力として、複数の車種が発売されていく。そんな「コルト」の名を受け継ぎながらも、1969年12月に新たなコンセプトのもとに誕生したのが「コルトギャラン」だった。それ以降、長く三菱の主力セダンとして活躍することになる初代「ギャラン」である(2代目から「コルト」の冠が外された)。
日本のモータリゼーションの進展を見据えて開発された「コルトギャラン」(1969~1973)
1969年5月に東名高速・東京~愛知県小牧市までの全線が開通するなど、1960年代も後半になると、日本では本格的にモータリゼーションが進展していった。自動車メーカー各社はそれを見越した新型車を投入。三菱(この時代はまだ三菱重工)は、70年代を迎えるにあたり、クルマの性格と役割が大きく変転すると推察。単なるステータスシンボルとして所有するだけでも意味があった時代から、いかに生活に密着した形で使用するかが問われる”パーソナルカー”の領域に入るとしたのである。その答えとして1969年12月1日から販売を開始したのが、三菱初のパーソナルカーである「コルトギャラン」だった。従来の「コルト」シリーズに対し、外見の美しさ、性能、居住性、静音性、豪華さを追求したコンセプトが特徴だった。海外販売も想定しており、クライスラーとの契約により、北米では翌1970年から販売された。
「コルトギャラン」と従来の「コルト」シリーズとの大きな違いは、まずそのスタイリングにある。「コルト」シリーズは決して不人気というわけではなかったが、開発陣は”失敗”と判断。その最大の理由としたのが、よくいえば”質実剛健”、悪くいえば”地味な”シンプルすぎるスタイリングだった。そうしたイメージを刷新するために抜擢したのが、実は巨匠ジョルジェット・ジウジアーロである。ジウジアーロのデザインをそのまま採用するのではなく、彼のデザインの意匠を活かしつつ、当時の流行だったウェッジシェイプにまとめ上げたのが三菱社内のデザインチームだった(同社では「ダイナウェッジライン」と呼ぶ)。「コルトギャラン」はこれにより、大きく三菱車のイメージを変えることに成功。販売台数を一挙に伸ばし、大成功を収めたのであった。
また車内の広さも特徴で、1300ccと1500ccながら、1600cc車を上回る余裕があった。前席レッグスペース、後席ヘッドクリアランスにもゆとりがあり、トランクも大容量を確保。そのほかの特徴としては、事故対策が挙げられる。事故を未然に防ぐための第1次対策、乗員を衝突の衝撃から保護するための第2次対策、歩行者を保護するための第3次対策など、高速走行を前提とした、国際水準の77項目の安全対策が施されていた。
そして「コルトギャラン」のエンジンは、”宇宙時代の高性能と信頼性を持つ”という意味合いで、土星を意味する「サターン」シリーズが新たに開発された。同社初のSOHC機構を採用したほか、完全燃焼を追求したというMS型燃焼室(※1)、クロスフロー式インテーク&エキゾーストシステム(※2)、吸気加熱装置、ダブル5ベアリングなど、当時の三菱重工が持てる技術を結集した高機能・高出力型エンジンである。エントリーグレードの「AI」には1289ccの「4G30型」(最高出力87馬力/最大トルク11.0kg・m)が、その上の「AII」には1499ccの「4G31型」(最高出量95馬力/最大トルク13.2kg・m)が搭載された。最上位グレードの「AIIGS」には、4G31型にツインキャブレターと高速型点火装置が採用され、最高出力105馬力、最大トルク13.4kg・mを実現。モータースポーツでも活躍できるスペックだった。
「コルトギャラン」は当初4ドアセダンのみが設定されたが、1970年になってから2ドアハードトップやエステートバンが追加設定され、さらに派生モデルとしてクーペタイプの「ギャランGTO」や「ギャランFTO」といったスペシャリティカーも誕生していった。その後、マイナーチェンジが行われ、ヘッドランプが角目2灯から丸目4灯となり、フロント部分の意匠を大きく変更。また、さらにその後にはエンジンも強化され、1289ccの4G30型は1439ccの4G33型に、1499ccの4G31型は1686ccの4G34型に載せ替えられた。そして1973年5月にフルモデルチェンジし、通称「ニューギャラン」と呼ばれる2代目「ギャラン」が登場、「コルトギャラン」は歴史上のクルマとなったのである。
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続いてはスペシャリティクーペ2車種に迫る!
“GTカーとして正式に承認されたクルマ”「ギャランGTO」(1970~1976)
「コルトギャラン」の発売を年末に控えた1969年の秋、第16回東京モーターショーで三菱重工はあるコンセプトカーを出展する。それは、乗用車市場で高まっていたスペシャリティカー志向の顧客を獲得することを目的とした「ギャランクーペGTX-1」だった。精悍で個性的なスタイリングのスポーツカーは大きな反響を得たことから、市場に投入されることとなる。
そして翌1970年に三菱重工の自動車部門が独立して誕生した三菱自動車(設立時は三菱重工の全株保有だった)はそのプロジェクトを引き継ぎ、同年11月に「ギャランGTO」として発売。GTOとはイタリア語の「Grande Tourismo Omologare(グラン・ツーリスモ・オモロガーレ)」の略で、”GTカーとして正式に承認されたクルマ”という意味である。グレードは「MI」、「MII」、そして最上位で”ミツビシ・レーシング”を意味する「MR」の3種類が用意された。
「ギャランGTO」最大の特徴は、ボディ、エンジン、内装のすべてを新規に設計したこと。「ギャラン」と名はつくが、「コルトギャラン」とは別物としてもいい車種だったのだ。新規設計の要素の中でも、「ギャランクーペGTX-1」で大きな反響があった通りに、スタイリングは人気の大きな要素となった。スタイリングの特徴としては、空力効果のあるファストバックと尻上がりのダックテール、2シータースポーツカー並みの傾斜角度を持ったフロントウインドー、ブラックマスクのフロントグリルと4灯式ヘッドランプなど、いくつものデザイン的な特徴があった。
また当時の国産車としては画期的な、曲率50インチのサイドウインドーによるタンブルホーム(※3)を採用したことで、室内は高い居住性を実現。低い居住性が当然だったクーペのイメージを変えてみせることに成功したのである。
エンジンは、「コルトギャランAII」と同「AIIGS」で採用された1499ccの4G31型をボアアップして1597ccとし、真半球型・MS型燃焼室や吸気温水加熱式インテークマニホールドなど新機構を備えた「ニューサターンAIII」(4G32型)を開発。MIにはノーマルの4G32型(最高出力100馬力/最大トルク14.0kg・m)を、MIIには英SU社製ツインキャブレターを装着した「4G32型GS」(最高出力110馬力/最大トルク14.2kg・m)を搭載した。そしてMRには、4G32型GSエンジンをベースに三菱初のDOHC化を行い、そこに仏ソレックス社製ツインキャブレターを加えた「4G32型DOHC」(最高出力125馬力/最大トルク14.5kg・m)が搭載されたのである。
しかし、年々厳しくなる排気ガス規制に対応できなくなり、「ギャランGTO」は1代限りで1976年に姿を消すことに。ちなみに1990年に登場した、当時の三菱らしいハイテク装備をあふれるスーパー4WDスポーツカー「GTO」はクルマの系統として直接の関係はないが、その名は「ギャランGTO」にちなんだものである。
“新鮮なクーペスタイルのツーリングカー”「ギャランクーペFTO」(1971~1975)
「ギャランFTO」は「コルトギャラン」から派生したスペシャリティカーの第2弾で、1971年11月から発売が始まった。「ギャランGTO」の弟分的車種で、ターゲットは若者層も含めたパーソナルユース。ちなみにFTOとはイタリア語で「Fresco Tourismo Omologare(フリスコ・ツーリスモ・オモロガーレ)」の略で、”新鮮なクーペスタイルのツーリングカー”という意味を持たせられている。
「ギャランGTO」があらゆる部分で新規設計だったのに対し、「ギャランクーペFTO」はエンジン、ドライブトレイン、サスペンションなどの主要コンポーネントやボディの一部を「コルトギャラン」から、ドアは「ギャランGTO」から流用して開発された。ボディの特徴はショートホイールベースとワイドトレッド。全長は4mを切る3765mで、ホイールベースは2300mm。それに対してトレッドは前後共に1285mmと、「ギャランGTO」とほぼ変わらなかったのである。
またデザイン的な特徴は、リアのスタイリングにも見られた。「ギャランクーペFTO」は2ドアクーペではあるが、ルーフからテールまでがつながったラインのファストバックと、リアウインドーとトランクルームが分かれたノッチバックを組み合わせた独自の「ファストノッチ」スタイルを採用したのである。ファストバックのデザイン上の弱点とされる後方視界の悪さとトランク開口部の制約を解決すること、そしてテール部分が尻下がりになってしまうイメージを取り除くことが目的だった。
発売当初のグレードである「GI」、「GII」、「GIII」には、新開発のネプチューンエンジン「4G41型」が搭載された。1378ccの直列4気筒エンジンで、GIとGIIにはノーマルタイプ(最高出力86ps/最大トルク11.7kg・m)が、そして最上位のGIIIにはツインキャブレター仕様(最高出力95ps/最大トルク12.3kg・m)が搭載された。0→400m加速は、GIとGIIが18.0秒(ふたり乗車時は16.8秒)、GIIIは17.2秒(ふたり乗車時は16.4秒)という性能だった。この後、排気ガス規制対策などのため、マイナーチェンジを行って排気量1439ccと1597ccのエンジンを搭載したモデルが追加された。
「ギャランクーペFTO」は、1972年に年間生産台数が2万台を超えるなど好調だったが、その後、第1次オイルショックにより失速してしまう。さらに、オーバーフェンダーで若者に人気のあった「1600 GSR」が、保安基準の改正に対応して廃止されるなどの影響もあり、1975年で生産を終了。スペシャリティカーのポジションは、1973年登場の初代「ランサー」のクーペバージョンという位置づけの「ランサーセレステ」にバトンタッチし、歴史の中に籍を移した。1994年に誕生した「FTO」はクルマとしての直接的なつながりはないが、車名は「ギャランクーペFTO」から取られている。
1960年代の三菱車の主力だった「コルト」シリーズの弱点とされたスタイリングの問題を解決し、一気にモダナイズした初代「コルトギャラン」。そして、そこから派生したスペシャリティクーペである「ギャランGTO」と「ギャランクーペFTO」を紹介した。発売から40年以上が経ち、中には50年近い車種もある中、今でも多くのオーナーに愛されているのが今回の3車種。それが納得できるたたずまいを持ったクルマたちではないだろうか。
【お詫びと訂正】
公開時、エンジン型式の表記に誤りがありましたので、正しい表記に修正いたしました。お詫びして訂正させていただきます。