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最終更新日:2019.07.17 公開日:2019.07.17

気品ある超高級車ロールス・ロイス史 その1【古き良き英国車の世界】

戦前から70年代までの、ヒストリックな英国製の名車をメーカー別に紹介する「古き良き英国車の世界」シリーズ。第1弾は、高級車の代名詞的存在として誰もが知るロールス・ロイスを取り上げる。

高級ホテル「ザ・ペニンシュラ東京」が所有するロールス・ロイス「ファントムII」1934年式。「オートモビルカウンシル2017」のザ・ペニンシュラ東京ブースにて撮影。

 ロールス・ロイスは、ふたりの創業者の名を合わせたものだ。ひとりは、1863年生まれのフレデリック・ヘンリー・ロイス(1933年没・享年70歳)。幼少時から苦労しながら勉学に励み、知識と技術を身につけた超一流のエンジニアとなった人物である。

 そしてもうひとりが、その14歳年下で、1877年生まれの貴族のチャールズ・スチュワート・ロールス(1910年没・享年32歳)。クルマのスピードに魅了されていたが、クルマの利便性をいち早く見抜き、社会に役立つものとして考えて活動した先見の明を持った人物だった。

 品質を最優先したもの作りをしてきたロイスは、先進的といわれる海外製のクルマですら品質が低いことに納得がいかず、自らクルマ作りを開始。そしてロールスは、フランスなど諸外国に比べてクルマの開発で後れをとっていた当時の英国ではあったが、自分の名を冠した世界に通じるクルマを作りたいと考えていた。

 超一流の技術ともの作りに対する真摯な姿勢を持ったエンジニア。そしてクルマに対する情熱と確かな目を持ったパトロン。そんなふたりが出会い、お互いに認め合い、ロールス・ロイスのクルマ作りが始まっていく。1904年の年末から両者による事業は本格的にスタートし、当初はロイスの会社が生産したクルマを、ロールスの会社が販売するという役割だった。そして1906年3月に両社は合併。ロールス・ロイスというメーカーが誕生したのである。

ロールス・ロイスのエンブレムとマスコットの「スピリット・オブ・エクスタシー(フライングレディ)」。ちなみにエンブレムは当初画像のように赤だったが(車種は「シルヴァーゴースト アルパイン・イーグル」1919年式)、フレデリック・ヘンリー・ロイスが1933年に没すると、喪に服す意味から黒となり、それ以降はそのまま黒が踏襲されている(顧客の要望に応えた、ロイスが黒にするように指示したなど、複数の説がある)。

爆発的な人気となり6000台以上を販売した「シルヴァーゴースト」(1907~25)

正式名称「40/50HP」、後に「シルヴァーゴースト」と命名される。生産台数は6000台超とも、8000台弱ともいわれる。初期型は排気量7038cc・最高出力40馬力のエンジンを搭載し、中期と後期モデルが7428cc・50馬力の2種類の直列6気筒エンジンを搭載した(7410cc・65馬力という資料もある)。最高速度は時速135kmをマーク(資料によっては時速120km強)。シャシーの価格は初期型が1000ポンド弱、中期型が1600ポンド弱、後期型1800ポンド半ばほど。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2017」にて撮影。

 合併前ではあったが、両者の協力によるロールス・ロイスとしての記念すべき第1号とされているのが、1904年に誕生した直列2気筒・最高出力10馬力の「10HP」(10馬力の意味)。当時、最高出力をそのまま車名にしたメーカーが多く、ロールス・ロイスもそれに倣った形だ。単位は当時の自動車先進国であるフランス式のpsは使わず、英国式のhpが使われていた。

 その後、「15HP」、「20HP」、「30HP」と初期の数年間で4車種ほど手がける。直列4気筒・20馬力の「20HP」と直列6気筒・30馬力の「30HP」は数10台の販売ではあったが、ロイスの作るクルマの評判は徐々に上がっていった。

 そしてV8エンジン搭載の「V8レガリミット」を経て、直列6気筒で40/50馬力の「40/50HP」を1907年にリリース(排気量7038ccが40馬力、7428ccが50馬力で、別々の車種ではなくひとつとされた)。これが大変な評判となり、最終的に1925年までの生産で6000台以上とも8000台弱ともいわれる販売台数を記録した。あまりにも注文が入るために他車種の生産を中止し、「40/50HP」のみに絞ったという。

 数年後、社内の通称であった「シルヴァーゴースト」が正式名称として採用される。それ以降、ロールス・ロイスのクルマはスピリチュアルな通称がつく車種が多くなるのである。

「シルヴァーゴースト アルパイン・イーグル」1919年式。6000~8000台が生産された「シルヴァーゴースト」の中にはさまざまなモデルが存在し、同車は競技用にチューンした「シルヴァーゴースト」をベースに市販化したモデル(最高出力は70~75hpほどにアップ)。最も高性能かつ魅力的とされた1台。絵本「じどうしゃアーチャー」(著・片平直樹/絵・伊藤正道)のモデルになった。「オートモビルカウンシル2017」にて、ワクイミュージアムが参考出品した1車種。

第1次大戦後最初の新型車「20HP(トゥウェンティ)」(1922~1929)

第1次大戦後に登場した新型「20HP」(1929年式)。オープンカーであることから「ツアラー」と呼ばれるモデルと思われる。新型の直列6気筒OHVエンジンだが、先代「20HP」よりも排気量は少なく、3127cc。最高出力は50馬力を超えていたという。初期型は最高速度は時速100km、後期型は時速110kmだった。画像の新型「20HP」は後期型と思われる。シャシー価格は1100ポンド前後。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2017」にて撮影。

 「シルヴァーゴースト」の大ヒットにより経営が安定したことから、ロールスは経営を離れ、ライト兄弟と親交を深めて飛行機に魅了されていく。しかし1910年7月、墜落して事故死してしまう。それに加え、1911年にはロイスが重病を患っていることが発覚。以降、長きにわたって、ロイスは療養所で図面を引き、そして部下たちにアドバイスを与えることとなる。

 しかし、そうした危機に屈することなくロールス・ロイスはクルマの生産を続け、1914年に第1次世界大戦が勃発すると、同車のクルマは戦場でも活躍することになった。また、航空エンジンの開発においても大いに貢献したのであった。

 第1次大戦後、売れ行きの好調だった「シルヴァーゴースト」は1920年の世界恐慌の煽りを受け、人気に陰りを見せ始める。大型かつ高価であった「シルヴァーゴースト」が敬遠されてしまったのだ。そこで方針を転換、「シルヴァーゴースト」の半分の排気量の小型モデルの開発を進めていく。その結果、初期モデルと同じ車名の「20HP」が登場したのだ(区別するため、「トゥウェンティ」とも呼ばれる)。今度は直列6気筒・排気量3127ccのエンジンが搭載し、3000台近くの販売台数を記録した。

 ちなみに実際には50馬力以上もあるのに「20HP」とした理由は、最高出力がそのクルマの性能を決めるわけではないという、ロイスの考え方があったからだという。

 この小型モデル「20HP」は、1929年に「20/25HP」に、1936年には「25/30HP」へとモデルチェンジしていき、第2次世界大戦後も名を変えて系譜が引き継がれていくことになる。

幽霊のように静かな走りを実現した主力車種「ファントムI」(1925~1931)

「ファントムI」の1モデルである「トルペードツアラー」1925年式。トルペードとは魚雷のこと。エンジンは直列6気筒の7670cc(資料によっては6750ccとも)、最高出力108馬力、最高速度は時速135km強(時速145kmという説も)。シャシー価格は1850~1900ポンドほど。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2017」にて撮影。

 小型モデルと同時に、主力車種の「シルヴァーゴースト」のリファインも進められ、後継モデルが1925年に登場した。当初、「ニュー・ファントム」と呼ばれたそれは、”幽霊のように静かに走る”ことに由来するという。

 徐々に架装されるボディが大型化し、重量が増えていったため、それを受け止めるシャシーもそれだけ強固に設計。そのため、初期型の「シルヴァーゴースト」の2倍もの車重になったという。また、ショックアブソーバーとして初めて油圧式ダンパーが採用されるなど、足回りの技術的な進化も押し進められた車種だった。

こちらも「ファントムI」。同じ「ファントムI」であっても、コーチビルダーがオーナーの意向を受け、どのようなボディを架装するかで大きくイメージが変わってくる。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」にて撮影。

モデルチェンジした2代目が登場「ファントムII」(1929-1935)

ペニンシュラ東京が送迎用に用いている「ファントムII」1934年式。バーカー製のコーチ付き「セダンカ・ド・ヴィル」と呼ばれるスタイルは希少性が高い。同車は英ウィルトシャーにある修復専門施設で、華麗な装飾を保ちつつ利用客への配慮を施したペニンシュラ用カスタマイズが施された。また、現代の東京の道路環境にも対応するよう改良が加えられている。国内に存在するロールス・ロイス車のうち、屈指の豪華さをまとった1台。「オートモビルカウンシル2017」にて撮影。

 「ファントムI」は一部1931年まで生産されたが、1929年にフルモデルチェンジされて2代目の「ファントムII」にスイッチ。この時点で、1代目は「ニュー・ファントム」から「ファントムI」という車名に変更されたという。

 「ファントムII」は、療養先からではあるがロイスが開発を手がけた最後のモデルとして知られる。また、第2次世界大戦前のロールス・ロイスの最高傑作とされた車種だ。

 「ファントムI」から「II」への変更点としては、まずエンジンが挙げられる。「ファントムI」のものがベースとなっており排気量の変更はないが、シリンダーヘッドの改良が施された。足回りに関しては、サスペンションにリーフ・リジットが採用されたことも目立つ変更点だ。

 「ファントム」シリーズは戦後もフルモデルチェンジを続け、最終的に1968年登場の「ファントムVI」まで続く。そして1991年まで生産された。

「ファントムII コンチネンタル」1930年式。「ファントムII」の排気量は、「ファントムI」から変更されておらず、7670cc。最高出力は未公表。最高速度は時速145km以上。シャシー価格は据え置きで、1850~1900ポンドほど。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2017」にて撮影。

 高級車の中の高級車という人々のイメージをロールス・ロイスが勝ち得たのは、ひとえにロイスのクルマ作りの考え方が大きい。「品質第一」を掲げ、製造工程において幾度となく徹底的なクォリティチェックを行う。またクルマの機構では実績のある技術だけを採用し、最高の素材を用いた。派手さはないが、故障の少なさと信頼性で勝負をしたのである。

 現在、ロールス・ロイスはBMW傘下の1ブランドとなっているが、工場は英国にあり、クルマ作りの姿勢も継承されている。創業時のロールスとロイスの遺志を体現していくのなら、きっと気品と歴史を兼ね備えた超高級車として、これからも君臨し続けていくことだろう。

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