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最終更新日:2019.01.21 公開日:2019.01.21

作品の良し悪しは作り手が持つ背景にかかっている 魂の技術屋、立花啓毅のウィークリーコラム

マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発者として知られる立花啓毅氏。立花氏は、モノや芸術の作り手に求められるのはテクニックだけではないと断言する。その心とは

立花啓毅

かつてマツダに在籍し、数々のヒット車を手がけた技術者、立花啓毅氏。立花氏は「上手にできた車」と「いい車」とはまったく異なるという。テクニックがあれば確かに物事は上手にできる。だが、上手なことと、人を感動させる「いいこと」はまったく異なるのだと。立花氏はある出来事を通してそうした考えの境地に達し、ヒットメーカーとして活躍した。その出来事とは。


 もう大分昔のことだが、日曜画家(編集部注=趣味で絵を描く人)には真の絵は描けないと感じ、それ以来きっぱり絵をやめた。

 子どもの頃から絵が好きで、小城基画伯のもとで絵を習い、県美展で入選するまでになった。しかしある日、こんな生ぬるい絵は絵ではないと思った。サラリーマンで安定した収入があり、妻子もいて、余暇に筆を執っているようでは、絵もその程度のものにしかならない。これでは何十枚、何百枚描こうが人の心を打つ絵は描けない。人の記憶に残る絵は、描き手の精神性が求められる。そう感じたからだ。

作品に求められる精神性とは?

 話は変わるが、世界的に有名なバイオリニスト・五嶋みどりが、次のような話をしていた。「私は3歳からバイオリンの英才教育を受け、高校を卒業して、オーストリアに留学しました。その時に留学先の先生から[あなたはバイオリンの練習を止めなさい。もうしなくてもいいです。そんなことより世界の名画といわれるものを見るなりして、本物の文化に触れなさい]と言われました」 わざわざバイオリンを勉強するために遠いオーストリアまで来たのに、バイオリンはケースに入れて、練習するなというのだ。つまり、音楽家は技術だけでなく、心を豊かにしないと音楽に深みが生まれない。心のない薄っぺらな音楽になると言われたのだ。

 ピアニストである、かのフジコ・ヘミングも同様な話をされている。彼女は「楽譜どおり演奏するのがいいのではないのです。その時の自分の心を表現するには楽譜から外れることもあります。それは人生も同様で、たまには外れた方がいいのです。それによって心が豊かになりますからね。いろいろなことを経験することによって器が広がり、やがて音楽が豊かになると思っています」と言っている。

作品の良し悪しは、熟達するだけでは足りない。

 その道の達人でもそうなのだ。冒頭の「サラリーマンに絵は描けぬ」というのは、テクニックや技法が身についても、甘ちょろい生活をしていては、絵もその程度にしかならない。そんなことが何十年もかかってようやく分かった。というのは県美点の締め切りが迫っても、絵が描けずに悩んでいた時があった。描けないといってもテクニックはあるので、構図も色彩もそこそこにまとめることはできた。しかしこの絵は落選した。何年か経って、あらためてその絵を見ると、何にも感じない抜け殻のようだった。

 絵を描く技法は、練習を重ねれば上達する。それなりのものに仕上げることはできる。しかしそれでは人の心を打つ「いい絵」は描けない。絵画コレクターの州之内徹氏は「上手な絵」と「いい絵」は根本的に違うと断じたのが、私には理解できた。つまり我々技術屋は「上手なクルマ」作りはできるが、それが「いいクルマ」かどうかは別なのである。作り手にある背景の豊かさが、人の胸を打つ作品へとつながるからだ。

立花 啓毅 (たちばな ひろたか):1942生まれ。商品開発コンサルタント、自動車ジャーナリスト。ブリヂストン350GTR(1967)などのスポーツバイク、マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発に深く携わってきた職人的技術屋。乗り継いだ2輪、4輪は100台を数え、現在は50年代、60年代のGPマシンと同機種を数台所有し、クラシックレースに参戦中。著書に『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)、『愛されるクルマの条件』(二玄社)などがある。

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