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最終更新日:2018.12.12 公開日:2018.12.12

「ミニ」など、1950年代の名車を動画と画像で【トヨタ博物館 クラシックカー・フェス 2018】(2)

開館30周年を迎えたトヨタ博物館。そんなトヨタ博物館が2001年から東京で開催しているクラシックカーと旧車の祭典「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」だ。そのリポート第2弾は、1950年代の輸入車13車種を紹介しよう。

 ヘリテージを尊び、人とクルマの未来を見据え、日本の自動車文化を育んでいくことを目的としたクラシックカーと旧車の祭典「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」。そのリポート第2弾は、MG「ミジェット TD」1953年式から、モーリス「ミニ マイナー」1959年式まで、1950年代の13車種を取り上げる。

【2018年のリポート一覧・すべて動画あり!】

車種別インデックス:70台強のクラシックカー記事がすぐに見つけられる!
第1弾:戦前~1940年代半ばまでの全8台を紹介!動画あり。ロールス・ロイス「ファントムI」が優美だった
第3弾:ピックアップ型「ランクル」など、1960年代、魅惑の日本車を集めてみた! 前編
第4弾:1960年代後編は、ホンダ「S800」やいすゞ「ベレット 1600GT」など国産の名車を集めてみた!
第5弾:1970年代前編:クラウン、フェアレディ、グロリア、ff-1、ジムニーなど!
第6弾:1970年代後編:初代「カローラ レビン」やケンメリ「スカイライン」など!

動画1:MG「ミジェットTD」~ロータス「Mk XI」

1950年代のクルマの走行動画その1は、MG「ミジェット TD」、AC「ACエース ブリストル」、MG「MGA フィクスドヘッドクーペ」、オースチン「A35 カントリーマン」、ロータス「Mk XI」の5台。再生時間2分7秒。

戦前のスタイルをとどめたMG「ミジェット TD」

 英国発祥のMGは”モーリス・ガレージ”の略とされ、会社組織として発足したのは1920年代末。英モーリスのクルマのスポーツ版を製造することを目的として誕生した。その後、大企業に吸収されるなどして消滅していた時期もあったが、現在は経営母体を変えてブランドとしては復活している。

 「ミジェット TD」はTタイプの1台で、リポートその1で紹介した、今回参加した中では唯一の1940年代のクルマであるMG「ミジェット TC」の近代化を図ったモデルだ。この頃はクルマのスタイリングにおける端境期であり、これ以降は近代的なデザインが主流となっていく。今回の1950年代13車種のうち、戦前のクラシックなスタイルを採用しているのはこの「ミジェット TD」のみである。

「ミジェット TD」1953年式。Tタイプの戦前型である「ミジェット TB」の居住性を拡大したのが戦後型の「ミジェット TC」で、タイヤを小径化するなど、さらに近代化を推し進めたのがこの「ミジェット TD」。「TC」と「TD」はスタイルが酷似している。

「ACコブラ」の原型のAC「ACエース ブリストル」

 1901年に誕生し、英国最古の自動車メーカーのひとつに数えられるACカーズ。ACとはAuto Carrierの略とされるが、Auto Carという意味合いもあったようだ。

 「ACエース」は、そんなACカーズが生み出したライトウェイトスポーツで、モータースポーツでも大いに活躍した。中でもこの「ACエース ブリストル」は希少なモデルで、ブリストル製の直列6気筒・2Lエンジンを搭載している。この車両は「ACエース ブリストル」の2番目の車両とのことだ。

「ACエース ブリストル」1956年式。この「ACエース」のボディに、米国人レーサーのキャロル・シェルビーが調達したフォード製V8エンジンを搭載して、名車「ACコブラ」が誕生するのである。「ACコブラ」とそのレプリカ車に関しては、別記事『時代を超えた存在感。 60年代の英国製スーパーカー “ACコブラ・レプリカ” を見た!』に詳しい。

一気にモダナイズされたMG「MGA フィクスドヘッドクーペ」

 MGは「ミジェット TD」の後、同じ1953年のうちにTシリーズの最終モデルの「TF」を送り出す。そして1955年になると、大きくボディのデザインを近代化させた「MGA」をデビューさせる。

 当初「MGA」は、2シーター・オープンカーだったが、1956年になってこのクローズドボディのクーペモデル「MGA フィクスドヘッドクーペ」も登場させる。この流線形のボディは人気を呼び、ヒットしたという。

一気にボディのデザインが近代化された「MGA」のクーペモデル「フィクスドヘッドクーペ」1956年式。非常に美しい曲面が人気の1台である。

英国の人気クレイアニメで活躍! オースチン「A35 カントリーマン」

 英国の自動車メーカーの栄枯盛衰と吸収合併の歴史は少々複雑だ。モーリスがウーズレーとMGを吸収してナッフィールド・オーガニゼーションとなり、そこに合併したのがオースチン。当時の英自動車メーカー2大巨頭の合併により、「ミニ」で知られるBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が誕生するというのが、戦前から1950年代初頭にかけての大まかな流れである。

 BMC誕生後もオースチンはモーリスと共にブランドとして使用され、この「A35 カントリーマン」が誕生した1956年の時点でオースチンはブランド名である。「A35 カントリーマン」はセダン「A35」のステーションワゴンタイプとして誕生した。

「A35 カントリーマン」1956年式。とぼけた発明家のウォレスと、その相棒で犬のグルミットがさまざまな騒動を巻き起こす英国のクレイアニメ「ウォレスとグルミット」では、この「A35 カントリーマン」が活躍する。

レーシングカー・ロータス「Mk XI」

 「Mk XI」(マークイレブン)は創業間もない頃のロータスにおいて、天才的なエンジニアであり、創業者であるコーリン・チャップマン(1928~1982)自らの手によって開発されたレーシングカーだ。この「Mk XI」は1956年式で、当時チーム・ロータスのワークスドライバーのトム・ディクソンが英国のレースで14戦7勝を挙げた。

 シングルシーターのレーシングカーとして開発され、モータースポーツシーンで成功を収めたモデルである。この「Mk XI」は公道走行が可能となっており、とても希少だという。空力を意識してデザインされたと思われる、流麗なフロントセクションが美しい1台である。

「Mk XI」は鋼管フレームにアルムボディを搭載。エンジンは、排気量1098ccのコベントリー・クライマックス製水冷直列4気筒SOHCを搭載し、最高速度は時速200km超。ル・マン24時間レースなどで活躍した。全高は810mmしかなく、車重に至っては412kg。

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フェラーリ 「ディーノ 196S」からベントレー「S1 フーパー」まで!

動画2:フェラーリ「ディーノ 196S」~ベントレー「S1フーパー」

1950年代のクルマの走行動画その2は、フェラーリ「ディーノ 196S」、パナール「ディナ Z」、フォルクスワーゲン「カルマンギア」、ベントレー「S1 フーパー」の4台。再生時間1分51秒。

世界に3台しかない! フェラーリ「ディーノ 196S」

 1958年式のフェラーリの「ディーノ 196S」のレプリカ車。「ディーノ」というと、フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの夭折した長男の名を冠したV6ミッドシップのスーパーカー「246」(※1)を思い浮かべるが、それとは異なる。「ディーノ 196S」は、エンジンをフロントに搭載したプロトタイプレーシングカーである。3台しか存在しないという。

 この車両は、その3台のうちの1台を1980年代にリプロダクトしたレプリカ車。パイプフレームにアルミの叩き出しによるボディということで、1950年代の技術のまま製造されたという。公道走行ができないため、会場までは積載車で運び込まれたが、走行そのものは可能だ。パレードランのスタートには参加し、展示スペースまでの短い距離を走行した。

※1 別記事『フォト&動画・同乗試乗レポ#4 日・伊、曲線美の競演! 「ディーノ」と2000GT」!!』で、「ディーノ246GTS」1973年式の助手席に同乗試乗した様子を画像と動画で紹介。

「ディーノ 196S」1958年式。全高はレーシングカーだけに、1mを切る970mm。車重も940kg。エンジンは排気量2410ccの「135C」を搭載。

フランス最古のメーカー・パナールの最後の乗用車「ディナ Z」

 19世紀末には創業していたという、世界屈指の歴史を誇るフランス最古の自動車メーカー・パナール。1965年にシトロエンに吸収されるなどして紆余曲折を経たが、現在は軍用車両メーカーとしてその名が残されている。

 「ディナZ」は1954年から1959年まで生産され、その後1965年までは「P17」と名前を変え、シトロエンに吸収されるまで生産された。全長4580×全幅1660×全高1460mmという、本来は2000cc級エンジンがほしいサイズのボディだが、徹底的に軽量化が図られて車重は850kgを実現。空力的にも優れ、搭載エンジンが排気量851ccの空冷水平対向2気筒だったが、最高速度は時速130kmを出せたという。

角の取れたデザインから空力的に優れていることが想像に難くない「ディナZ」1958年式。フランス流の徹底的な合理主義で軽量化を実現し、また空力性能を高め、排気量がわずか851ccの2気筒エンジンで最高速度時速130kmを実現したのだという。

「ビートル」がベースのフォルクスワーゲン「カルマンギア」

 「ビートル」の名で親しまれるフォルクスワーゲン「タイプ1」をベースに、イタリアのカロッツェリア(デザイン工房)のギア社がデザインし、独カルマン社がボディを架装したスポーツカー。車名は、わかりやすく両者の社名を合わせたものになっている。とてもエレガントなボディラインが特徴で、世界的な人気も高い。

「カルマンギア」1958年式。排気量は初期型の1200ccタイプ。後に、排気量がアップしたグレードも登場している。

希少なコーチビルド仕様のベントレー「S1 フーパー」

 ベントレーは現在はフォルクスワーゲンの傘下となっているが、英国で誕生した高級車・スポーツカーメーカーだ。この「S1」は1955年から1965年まで製造され、この時期はロールス・ロイスの傘下にあり、「シルヴァークラウド」とは兄弟車に当たる。また「S1」からはエンジンも同一になり、ロールス・ロイスの車種との違いはボディのみとなる。「S1 フーパー」のフーパーとはコーチビルダー(クルマの架装業者)のことで、「S1 フーパー」は3台のみしかないという。

コーチビルダーのフーパーが手がけた「S1 フーパー」1958年式。「S1」の総生産台数3072台のうち、185台がコーチビルド仕様だという。

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ポルシェ「356 A カブリオレ」からモーリス「ミニ マイナー」まで!

動画3:ポルシェ「356 A カブリオレ」~モーリス「ミニ マイナー」

1950年代のクルマの走行動画その3は、ポルシェ「356 A カブリオレ」、オースチン「A50 ケンブリッジ」」(日産製)、メルセデス・ベンツ「190SL」、モーリス「ミニ マイナー」の4車種を収録。再生時間1分44秒。

「911」の前身! ポルシェ「356 A カブリオレ」

 「356」はポルシェの第1号モデルで、戦後間もない1948年から生産を開始したスポーツカーだ。長らく改良されて生産され続け、1955年末にはビッグマイナーチェンジを受けた「356 A」が登場する。この「356 A カブリオレ」は1958年式のオープントップモデル。ちなみに、「356」はスポーツカーながら、8年目に1万台生産が達成されるほどの人気車種となった。「356」で得たノウハウが、後に希代のスポーツカー「911」(※2)の誕生につながっていったとされている。

※2 ポルシェ「911」については、別記事『AUTOMOBILE COUNCIL#5 60年代から90年代まで!911大盛りのドイツ車編1』にて1960年代から1990年代の車種を紹介した。

ポルシェ「356 A カブリオレ」(1958年式)。同車はエンジンは5種類が用意されていた(排気量は1300cc、1500cc、1600ccの3種類)。後継モデルのポルシェ「911」でお馴染みの走りを追求した「カレラ」の名は、この「356」シリーズの時から設けられていた。

憧れの高級スポーツの弟分・メルセデス・ベンツ「190SL」

 当時、世界的な人気を博した、メルセデス・ベンツ「300SL」。SLとは”Sports Lightweight(スポーツ・ライトウェイト)”の略で、「300SL」は同ブランドの高級スポーツカーの初代である。とても高価なことから、メルセデス・ベンツはより安価な下位モデル「190SL」も開発した。同ブランドのセダン「W180」のシャシーを短くし、エンジンは排気量1897cc・120馬力の水冷直列4気筒OHVエンジンを新たに開発。「300SL」と同じシルエットを持つボディを用意し、手を出せないが「300SL」に憧れていた層の心をつかむことに成功。商業的に成功したという。

「190SL」1959年式。「190SL」は、大人気の「300SL」の弟分的存在として、1956年のニューヨークモーターショーで発表された。ちなみに、「300SL」は乗りこなすのが難しく、また整備性が低いという難点を抱えていたが、「190SL」はその点を解消していたことも、商業的に成功を収めた理由だったという。

日産がノックダウン生産したオースチン「A50 ケンブリッジ」

 1952年、英国自動車メーカーの2大巨頭であったオースチンとナッフィールド・オーガニゼーションが合併してBMCが誕生するその直前、オースチンと中型セダン「A40サマーセット」のノックダウン生産(※3)の契約を結んだ日産。

※3 ノックダウン生産:機器の全製品を本国から輸入して現地で組み立てる、または主要部品のみを本国から輸入してそのほかの部品は現地調達して組み立てる生産方式のこと

 日産は、英国本国で「A40 サマーセット」から「A50 ケンブリッジ」に切り替わったことを知ると、オースチン車の国産化計画が一からやり直しになるデメリットを覚悟で、「A50 ケンブリッジ」への切り替えを選択。当時の小型車規格いっぱいの排気量である1500ccの「A50 ケンブリッジ」の生産の方が得策というのが判断理由だという。

 日産は「A50 ケンブリッジ」のノックダウン生産を1955年2月から開始し、1958年10月には完全国産化を達成。1960年4月に「セドリック」が登場するまで生産が続けられた。

「A50 ケンブリッジ」1959年式。日産はタクシーや、運転手付き社用車としての使用を考慮し、独自の仕様変更を実施した。1957年にはベンチシートに、58年にはステアリングを小径化し、さらにドアの内張りを凹ませて6人乗りとした。そして59年にはリアウインドーも拡大し、日産独自の「A50 ケンブリッジ」となっていったのである。ちなみにナンバープレートも注目で、地名なしの5ナンバーとなっている。同車は、映画「海賊と呼ばれた男」に登場した。

発売初年度の初期型! モーリス「ミニ マイナー」

 1952年にBMCが誕生した後も、英国の2大巨頭オースチンと、ナッフィールド・オーガニゼーションのブランドとなっていたモーリスはブランドとして活用され続けた。1956年になると、イスラエル、英国、フランスがエジプトとスエズ運河の覇権を巡って第2次中東戦争を勃発させてしまう。ガソリン価格の高騰への対策として、BMCは燃費の優れたコンパクトカーの設計を計画する。その指揮を執ったのが、天才エンジニアのサー・アレック・イシゴニスだった。

 イシゴニスは、横置きエンジン、FF、2ボックススタイルという、現在でもコンパクトカーに採用されている組み合わせを考え出し、希代の名車を生み出したのである。さらに、トランスミッションのギアセットをエンジン下部のオイルパン内部に搭載し、ギアの潤滑はエンジンオイルを共有する2階建て構造なども考え出した。そして、モーリスブランドからは「ミニ マイナー」として、オースチンブランドからは「セブン」として発売されたのである。このは、販売初年度の1959年式で、中でもさらに初期のものだという。

「ミニ マイナー」1959年式。その中でも最初期の1台だという。同車は1959年から2000年までの約40年間で、530万台が販売された。コンパクトかつ軽量ながら大人が4人乗れることから、戦後人気を博したバブルカーを一掃したという。「ミニ」は、現在は車名そのものがブランドとなり、BMW傘下で現在でも存続している。別記事「BMC・ミニ」に詳しい。

2018年12月12日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)

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