気分爽快、マツダ・ファミリアXG
「マツダ・ファミリアXG」(1980年)全長×全幅×全高:3955×1630×1375mm 軸距:2365mm トレッド:前1390mm/後1395mm 車重:820kg エンジン:水冷直列4気筒OHC 1490cc ボアストローク:77×80mm 圧縮比:9.0 最高出力85.0PS/5500rpm 最大トルク:12.3kgm/3500rpm サスペンション:前ストラット/後ストラット タイヤ175/70SR13
ファミリアユーザーの使い方を見て回るのが何よりの楽しみだった。
もう34年も前になるが、赤い「ファミリアXG」というモデルがあったのをご存知だろうか。台形の格好をし、ガラス面積が大きかった車だ。ファミリアとしては5代目にあたり、1980年に発表した初代FFファミリアである。これは私が初めて副主査として、プロジェクトを担当した車だった。
お客が間違えてトヨタのディーラーに行って「XG」が欲しいと言ったという。そこでトヨタの営業マンが近くのマツダ店を案内した、というエピソードもあるほど大ヒットを飛ばした。なにしろ他社がファミリアのそっくりさんを作るほどだった。
しかし私自身、そんな台数や売り上げよりも、どんな人がどんな顔をして乗っているかを見るのが楽しみで、会社の帰りも休みの日も街の中を見て回っていた。ある時、真っ赤なXGを覗くと、後席に藤のバスケットが置かれ、生後2、3か月の赤ちゃんがすやすやと寝ていた。一瞬、頭の中に「!?」が飛び交った。それは、開発時には考えもしなかった使われ方だったからだ。XGはサーキットも走れるように足回りをギンギンに固めた車で、それを乳母車代わりに使うとは考えてもいなかった。今やその赤ちゃんも34歳だから、さぞかし元気なことと思う。
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オイルショック後の時代に、車に託したものとは
オイルショック後の時代、ファミリアXGに託した想い
さて、この車の開発にあたって、私は人を爽快な気分にさせようと考えた。というのも当時はオイルショックの影響で日本中が暗く、マツダも大打撃を受けた時だったからだ。湘南の爽やかな光の下で遊ぶ元気な男子をイメージした。
そのため、車の持つダイナミック性能の”リズム”を、アップテンポなものに調教することにした。具体的には、高剛性でクイックなステアリングや、短いレバーでスパスパ決まるギアシフト、エンジンのピックアップを鋭く。さらには、タイヤからシートに伝わる路面の振動までもアップテンポなものになるようにした。フットワークの良いハンドリングが実現できたのは、ユニークなSSサスペンションとステアリングシャフトのユニバーサルジョイントに発生するサインカーブを巧みに使って生み出したから。すると車が快活で元気なキャラクターとなった。加えて、ツイード生地を配したラウンジシートなど、車の持つキャラクターの方向性を統一した。
そうした作業を繰り返していく中で、フロントウインドーの大きさが人の気分を左右することに気付いた。実はウインドーは物差し的な役目をしていて、それが大きめで適切な位置にあると、しっかりした車に感じられ、胸を張って気持ちよく乗れる。逆にMG-BやジャガーEタイプのように狭いウインドーは、そこからの景色が額縁で切り取った絵のように映る。車の持つ世界観は(もちろん誰と乗るかにもよるが)、ウインドーのサイズと位置によっても七変化するのだった。
ファミリアは、音はうるさく乗り心地も硬かったが、世界中のお客から「嬉しくてついつい遠回りして帰るようになった」「リアゲート横の工具ボックスに気付き、親切な設計に感銘した」という、まさに作り手冥利につきる手紙を何通もいただいた。そんなこともあってか第1回の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝き、計画の何倍もの勢いで売れた。
このファミリアの軽快で楽しいハンドリングの味が各社に広まり、このフィールがその時からマツダのDNAとなった。オイルショック後の暗い時代に、爽快感を作り出すことに成功し、マツダを窮地から救っただけでなく、時代の申し子のように社会に受け入れられたのである。
文=立花啓毅
1942年生まれ。ブリヂストンサイクル工業を経て、68年東洋工業(現マツダ)入社。在籍時は初代FFファミリアや初代FFカペラ、2代目RXー7やユーノス・ロードスターといった幾多の名車を開発。
(この記事はJAFMateNeo2014年11月号掲載「哲学車」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)