【2018/1/13~4/1】 「パリジェンヌ」という文字に目が止まったアナタ。時代を映す女性「パリジェンヌ展」は見逃せません。
パリという魅力的な街に生きる女性、パリジェンヌ。時代の変化とともに、さまざまな表情を見せてきたパリジェンヌの姿を、ボストン美術館所蔵の作品約120点を通して紹介する展覧会「ボストン美術館 パリジェンヌ展 時代を映す女性たち」が4月1日まで、世田谷美術館にて開催中である。
冒頭の写真。左:ジョン・シンガー・サージェント《チャールズ・E. インチズ夫人(ルイーズ・ポメロイ)》1887年 Anonymous gift in memory of Mrs. Charles Inches’ daughter, Louise Brimmer Inches Seton 1991.926 右:《ドレス(3つのパーツからなる)》1770年頃 The Elizabeth Day McCormick Collection 43.1643a-c Photographs©Museum of Fine Arts, Boston
パリジェンヌ・スタイルの確立
シャルル・フレデリック・ウォルト ウォルト社のためのデザイン《ドレス(5つのパーツからなる)》 1870年頃 Gift of Lois Adams Goldstone 2002.696.1, 3-5
パリジェンヌというと、モードに対する意識の高さが上げられる。そういった「おしゃれなパリジェンヌ」たちが広まっていったのは、19世紀のことである。1852年にナポレオン3世による第二帝政が始まると、パリの街の大改造が行われた。近代化が進み、人々はウィンドウショッピングを楽しみ、広告や雑誌はさまざまな商品を取り上げ、パリジェンヌはショール、バッグ、靴といった装身具で完璧な装いを披露した。
上のスミレ色の優美なドレスを制作したシャルル・フレデリック・ウォルトは、パリに高級仕立屋を開業し、店員に見本の衣装を着せて顧客に選ばせるという新しい販売手法、いわゆるオートクチュールを確立した。ナポレオン3世の妃・ウジェニーの専属デザイナーとなると、顧客が店に殺到したという。また彼は模倣品と区別するために、服にラベルをつけることを導入した。
まだ女性が自立することが許されなかったこの時代に、自身を表現できるものはファッションだった。このパリジェンヌのスタイルは憧れの対象となり、アメリカまで伝わっていった。
アメリカのパリジェンヌ
冒頭の写真の女性はいかにもエレガントなパリジェンヌに見えるが、実はモデルはボストンの女主人で、赤いイブニングドレスは人気デザイナー・ウォルトのデザインに着想を得たものである。ぼんやりとした背景に胸元が大きく開いたドレスは18世紀のフランス社交界の肖像画を思い起こさせ、官能的で関心のなさそうな様子もパリジェンヌそのものだ。『ラルティスト』誌の編集長アルセーヌ・ウーセイは、このような言葉を残している。
「人はまた、パリジェンヌに生まれる。この変身と変容の地であるパリに初めて憧れた時、あるいは初めてその地を踏んだ時に」
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ミューズから職業芸術家、ダンサーまで多様化する活躍の場
芸術の女神ミューズとしてのパリジェンヌ
19世紀後半になり、伝統的な美術教育機関であったアカデミーに対し、印象派などの新しい芸術の流れが生まれる。そんな中、女性はモデルや芸術家のインスピレーション源となるミューズとなったり、アーティストとして才能を発揮できるようにもなっていく。
エドゥアール・マネ《街の歌い手》1862年頃 Bequest of Sarah Choate Sears in memory of her husband, Joshua Montgomery Sears 66.304
ミューズとして芸術家に影響を与えたパリジェンヌとして、ヴィクトリーヌ・ムーランが挙げられる。彼女はエドゥアール・マネの大作《街の歌い手》(上の絵画)のモデルとして有名であるが、10年以上にわたってマネのお気に入りのモデルであり続け、彼女をモデルとして多くの作品が生まれた。
同じようにフェルナンド・オリヴィエもパブロ・ピカソに多大なインスピレーションを与えた存在(ミューズ)だった。彼女をモデルにして、キュビズム的形象のブロンズの頭部像《女性の頭部》が生まれるなど、ピカソの様式の独創的探求に力を貸したといえよう。
女性芸術家として活躍したパリジェンヌ
メアリー・スティーヴンソン・カサット《縞模様のソファで読書するダフィー夫人》1876年 Bequest of John T. Spaulding 48.523
印象派の女性のうち、ベルト・モリゾ、メアリー・スティーヴンソン・カサット、マリー・ブラックモンは職業画家としての道を歩んだ。これら3人は上流階級の出身で絵の教育を受ける環境にあったが、既述のヴィクトリーヌ・ムーランは、労働者階級の出ながらサロンに出展するなど勢力的に制作活動を行った。
女性はひとりで自由に出歩くことも難しい時代に、芸術家として活躍する女性が現れ素晴らしい作品を残していることは特筆に価する。
20世紀のパリジェンヌ
1900年の万国博覧会前後のパリでは、ミュージックホールやキャバレーで歌手や踊り子として女性が活躍した。仕事やスポーツに勤しむ女性も増え、社会的な役割や階級を超えて「自らを表現するパリジェンヌ」は20世紀芸術のアイコンとして、カルチャーやファッションの分野でも時代をリードする存在として輝き続けたのである。
レギーナ・レラング《バルテ、パリ》1955年 Gift of Leon and Michaela Constantiner 2010.429 Münchner Stadtmuseum, Sammlung Fotografie, Archiv Relang
「パリジェンヌ」とは生き方である
「パリジェンヌは流行ではない。それは生き方なのだ」。
既述した編集長のアルセーヌ・ウーセイによる言葉は、パリジェンヌの本質を捉えているように思える。
本展覧会で紹介されているパリジェンヌは、18世紀にサロンを仕切った知的な女主人から、1950年代に映画『素直な悪女』でコケティッシュな役を演じ話題になったブリジット・バルドーまでさまざまである。
時代によって女性の社会的地位は異なれども、共通するのは、その時代を独自のスタイルを持って真摯に生きた女性の生き方であり、それが人々の憧れの的となってきたのではないだろうか。
ボストン美術館 パリジェンヌ展 時代を映す女性たち
【会期】
2018年1月13日(土)~4月1日(日)
【開館時間】
10:00~18:00 ※入場は17:30分まで
【休館日】
月曜日 ※2月12日(月・振替休日)は開館、翌13日(火)は休館
【会場】
世田谷美術館(東京都世田谷区砧公園1-2)
【入館料】
一般1,500円 他 ※詳細は展覧会公式HPでご確認ください
【アクセス】
東急田園都市線「用賀」駅下車 北口から徒歩17分、もしくは美術館行バス「美術館」下車徒歩3分 他
【展覧会公式HP】
http://paris2017-18.jp/
本稿で紹介した「パリジェンヌ展 」招待券プレゼント応募は終了いたしました。
賞品は抽選の上、2018年2月26日に発送しました。
たくさんのご応募ありがとうございました!
2018年2月10日(JAFメディアワークス IT Media部 荒井 剛)