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最終更新日:2024.07.26 公開日:2023.07.07

山アテ道路を知っていたら相当な道路ツウ!? それは日本の美しい風景だった

全国各地に存在している山アテ道路。知っていったら相当な道路ツウかもしれない。山アテ道路のあるところには日本の美しい風景がある。誕生の裏にある道路計画の歴史を深堀してみた。

文=宮本 奈々(KURU KURA)

山まで続く直線の道路「山アテ道路」

羊蹄山を道道豊浦洞爺線から望む

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みなさんは「山アテ道路」という存在をご存知だろうか。「山アテ道路」とは、「山アテ」と呼ばれる直線の延線に山を配置する道路設計技法を用いた、山まで続く直線道路のことを指す。この山アテ道路は、特定の地域に限定されることはなく、日本全国に存在している。なお、山以外にも、城下町では城の天守閣にアテた直線の道路や、海にアテた直線の道路も存在している。

最大の特徴は、なんといっても、山を焦点として沿道の建造物や街路樹が水平線に向かって消失 する(一点透視)ことで生み出される美しい道路景観にある。現在では「100年前の技術者からの贈り物」と表現されることもあるほどだ。

お江戸の山アテ道路は富士山、筑波山、愛宕山など

江戸時代の頃は日本銀行と日本橋三越の間の通りから富士山が見えていた (c) kanzilyou - stock.adobe.com

お江戸の山アテ道路でも、特に、富士山、筑波山、愛宕山にアテた道路は数多く、100年どころか400年以上前から、江戸の都市計画や道路設計に「山」を取り込む道路設計技法が使われていたことが見て取れる。

例えば、本町通りや駿河通りは、富士山に続く山アテ道路である。三越本店のあたりは駿河町といわれており、当時は真正面に富士山を望むことができていた。

この駿河町の山アテ道路を描いたのが、歌川広重の浮世絵、「名所江戸百景 する賀てふ」だ。越後谷呉服店(現在の日本橋三越の前身)が左右に立ち並ぶ目抜き通りには雲が立ち込め、その向こうには富士山の頂上が見えている。

「名所江戸百景」第8景 する賀てふ :歌川広重

歌川広重だけでなく、この駿河町の通りに立ち絵筆を取った画人は数多く、当時の日本人に愛された景色であったことがわかる。

北海道は山アテ道路だらけ! 理由は作り放題だったから

羊蹄山に山アテする国道275号  (c) Moku Kurokawa - stock.adobe.com

北海道といえば「天まで続く道」のような、直線的な道路を思い浮かべるのではないだろうか。北海道らしい風景ともいえるだろう。例えば、「天まで続く道」を構成する国道334号は、海別岳(斜里町)にアテた山アテ道路である。また、蝦夷富士といわれる羊蹄山は、国道276号、国道5号、その他、町道など、6路線の「山アテ道路」である。この他、国道、道道、市町村道など、道路の延長の長短や、山の標高の高低に関わらず、都市部から地方部までいたるところに山アテ道路がつくられている。

なんであっちにもこっちにも山アテ道路なんだ!? 答えは北海道の開拓史にある。

北海道の開拓を進めるために、道路整備の必要性に迫られた明治時代。当然だが、測量技術も発達していない頃のことだ。道路は直線であればあるほど設計・建設しやすく、その後、土地を区画するにも利便性が高いことから、技術者たちはできる限り直線の道路を考えた。未開の地にあって、家も畑もほとんどなく、直線道路をつくるのに阻むものは河川くらいであった。

ある意味、簡単に設計・建設できる直線の道路を作り放題だったわけだが、結果的には北海道らしい道路景観を生み出すに至ったといえるだろう。

日本各地に存在する山アテ道路。地域の歴史や文化を背景にできあがった美しい道路は、もしかしたら生まれ育った町や、住んでいる町にもあるかもしれない。見つけたときは、ぜひ、スマホを山に向かって構えて写真を撮ってみてほしい。

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