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最終更新日:2017.06.09 公開日:2017.06.09

絶滅の危機を乗り越え再び人気! 旧東ドイツの国民車トラビを 知ってる?

1958年ドレスデンで、発売を記念して撮影されたトラバント「P50」。© picture alliance / ZB

 みなさんは、トラバントという車をご存知だろうか?

 「Trabant(トラバント)」は、1957年から1991年まで旧ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)で製造された小型乗用車である。旧東ドイツという社会主義国家が消滅した1990年の翌年にトラバントは製造を終えるのであるが、その総生産台数は約300万台。ドイツ人から「Trabi(トラビ)」という愛称で呼ばれている、”旧東ドイツの国民車”である。

1958年にベルリンのブランデンブルク門でモデルつきで紹介されているトラバントP50。© picture alliance / ZB

 今年、製造60周年を迎えたドイツ自動車史の中でも特異な位置を占める、トラバントについて紹介したい。

トラビの誕生秘話

 トラバントは、旧東ドイツの国民にトランク付きの4人乗り小型乗用車を供給するために開発された。
 生産工場は、ザクセン州ツヴィッカウにある東ドイツ国営企業の「VEBザクセンリンク」。1954年に旧東ドイツ政府がトラビの生産を決定した目的には、①丈夫で経済的で手軽な価格の車という実用性を重視する社会主義理念が反映されていたばかりでなく、②大量生産による経済の発展、③国民の需要に応えることによって、旧東独民が西側に大量亡命するのを阻止する意図があったという。

1970年、VEBザクセンリンクの工場での生産風景。社会主義国家の旧東ドイツでは、男女平等で女性が工場労働に携わるのは普通のことだった。© picture alliance / ZB

 実際に、旧西ドイツがフォルクスワーゲン社のビートルにより経済が復興したように、旧東ドイツは60年代まではトラビの生産などによって経済成長をなした。しかし鉄や石炭などの資源が乏しかったことや、社会主義経済政策の失敗などの理由から旧東ドイツの経済は停滞し、70年代以降VEBザクセンリンク生産工場は、需要に見合った生産能力を備えていない状況だった。

 それによって、様々な”トラビ伝説”が生まれるのである。

駐車場を埋め尽くす大量生産されたトラビ。1990年の撮影。© picture-alliance / dpa

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数々の伝説が…

伝説その1:34年間ほぼ改良なし

 トラビは主に「P50」(1957~1962年)、「トラバント600(P60)」(1962~1964年)、「トラバント601」(1964~1990年)、「トラバント1.1」(1990~1991年)のモデルチェンジが行われたが、34年の間、外見や機能などはほとんど改良されることなく製造され続けた。

1964~1990年まで製造されたトラバント601。© picture alliance

 1989年に壁が開いた時ほど、この事実が明白になった瞬間はなかった。旧東ベルリンの人々がトラビに乗って旧西ベルリンに繰り出すと、60年代で氷結したままのトラビと当時の西側資本のドイツ車ベンツ、アウディ、BMW、フォルクスワーゲンなどが肩を並べて走る光景は、同じ民族でありながらこんなにも隔たってしまった東と西の深い分断を見るようで、カルチャーショックだった。

1989年11月9日夜、壁が開いた後にトラビに乗った旧東ドイツ人が旧西ベルリンになだれ込んできた。東と西の両方のドイツ人がこの歴史的瞬間を共に祝った。© picture alliance / zb

壁が開いた当時、旧東ドイツの市民はいたるところで歓待された。「ようこそ西へ!」や「壁よ絶滅せよ!」などと書いた紙で旧西ベルリンの人々は40年間分断されて会えなかった旧東ドイツ人を迎えた。© picture alliance / dpa

伝説その2:走るダンボール?

 トラビのあだ名のひとつに、「Pappe(パッペ)」つまり「紙」がある。これはボディの品質が悪いことについての表現であるが、実際は紙ではなく「フェノプラスト」というプラスチック素材でできている。資材不足がその理由だったそうだが、当時プラスチックボディの大量生産車は世界初の試みであり、実は最新技術の乗り物であったという。

鉄でできたドアノブ部が錆びついた年季が入ったトラビ。© picture alliance / Bildagentur-online/Schoening

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納品まで17年!?

2気筒エンジンにもかかわらず28年間消防車として活躍したトラビ。© picture-alliance/ ZB

 最も多く生産されたトラバント601のスペックは、全長約3.5m、車幅約1.5m、重量約600kg、定員4名、エンジンは直列2気筒2ストロークの空冷エンジン横向き配置で前輪駆動方式、燃費100km/5.5L(18.18/L)、公称最高時速は95~105kmだったそうである。
 燃料タンクは付いていないので、エンジンオイルのように給油口からスティックを入れて残量を確認しなくてはならないこと、ほとんど効かないエアコン、スタートにはチョークを使わないとエンジンがかからないこと、フロントライトの上下切り換えスイッチがライトの下にあり、降車しないと切り換えられないこと、故障が頻繁だったことなど搭乗者にあまたのエピソードを残す乗り物であった。

トラビのエンジン。オリジナルではなく整備され手が加えられている。© picture alliance / dpa

臭いのきつい排気ガスもトラビの特徴だった。© picture alliance / dpa

伝説その3:子供が生まれたら注文?

 90年代初期の旧西ベルリンでは、トラビをゲットするために旧東ドイツ人は子供が生まれたらまずトラビの注文をするという都市伝説が流れていた。
 トラビの注文から納品までの期間については、10年以上待って支給されたという旧東ドイツの知人が何人かいたが、ドイツのドキュメント番組では70年代の初めには最高17年かかったことが報道されている。新車は現金で購入するのが原則だったため、トラビのための貯蓄も必要だった。ちなみに値段は1台4000東ドイツマルク。当時の店頭販売従業員の月給は600~800東ドイツマルクだったそうだから、おそよ半年分の給与に相当する。

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Go Trabi Go!

トラビの危機と復活

 1989年の壁の崩壊後、旧東ドイツ人は当然、性能のいい西側諸国の車を所望した。家電、食料品、信号機など旧東ドイツのほとんどの製品は姿を消していき、多くのトラビが廃車となっていった。

1990年にコンテナに捨てられたトラビ。© picture alliance / zb

心あるオーナーは、廃車になった愛車を庭に飾ったりもした。© picture alliance / ZB

 そんな中、1990年にドイツで「Go Trabi Go!(ゴー・トラビ・ゴー!)」という映画が製作されヒットした。この映画は、旧東ドイツ時代、慎ましく暮らしていた家族が、東西ドイツの合併後、愛車トラビではじめて資本主義国家イタリアへ旅をする様子を描いたドタバタ劇だ。資本主義システムに翻弄される一家の姿を描きながら社会風刺を織り込んだ異色のコメディである。

映画「ゴー・トラビ・ゴー!」の1シーンから。傾いて走る愛車に慌てる主演のWolfgang Strumpf(ウォルフガング・シュトゥンフ)。© picture alliance / United Archives/IFTN

映画「ゴー・トラビ・ゴー!」トレーラー

 映画の中で旅を続けるうちにトラビがどんどん壊れていく。そして愛車がボロボロになってもどこまでも陽気な家族の姿が面白い。「人間として本当に大切なものは何か?」を問いかけた作品で、欠陥だらけの東ドイツの製品や、西側諸国でスマートに振る舞えなくても純粋で人生を謳歌しようとする東ドイツ人の姿が愛情深く描かれている。

オスタルギー=旧東ドイツ社会への郷愁

 2002年にドイツ本国をはじめ全世界で大ヒットした「Good Bye Lenin!(グッバイ・レーニン!)」も同じく旧東ドイツの社会を郷愁深く描いたコメディ映画である。
 これらの映画は当時のドイツの社会風潮である「Ostalgie(オスタルギー)」がテーマとなっている。

映画「グッバイ・レーニン!」トレーラー

 オスタルギーとは、ドイツ語の「Ost(オスト)=東」と「Nostalgie(ノスタルギー)=郷愁」を掛け合わせた造語で、旧東ドイツ人が「旧東ドイツはそんなに悪くなかった」と考える前向きな感情を指す。
 東西ドイツの統合によって、西側諸国の豊かな生活にコンプレックスを抱き、旧西ドイツ人から上から目線で見られていた旧東ドイツ人が、自信と失いかけたアイデンティティを取り戻す過程で起こった現象なのである。
 旧東ドイツ国民にとっては、欠陥車のような自動車でも、トラビは旧東独時代に所有できた唯一の自動車であり、大切な思い出がこもったマイカーなのである。

シスターの手でピカピカに手入れされたトラビ。© picture-alliance/ ZB

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トラビの復活!

現在のトラビ

 東西ドイツの統合から27年の歳月が流れた今のドイツでは、旧東ドイツ地域で生まれた子供も親を通してでしか旧東ドイツの世相を知らない世代となっている。
 トラビはというと、2015年にドイツで車検登録された数は32,832台。前年度に比べなんと1.6%伸びている。
 クラシックカーとしても人気で、コレクターの間では5000ユーロ(約62万円、6月7日現在)で売買されているという。トラビ発祥の地ツヴィッカウで毎年トラビ・クラブが開催するファンミーティングには、2万人のビジターが自慢のトラビと共に集まる盛況ぶりである。

ツヴィッカウで行われた「インターナショナル・トラビ・ミーティング」。© picture-alliance / ZB

世界中から約5000台のトラビとファンが集まった!© picture-alliance / ZB

中にはトラビをキャンピングカーに改造した熱烈なファンも!© picture-alliance / ZB

 トラビを実際に体験してみたいという人には、トラビを運転しながらベルリン観光ができるツーリング・ツアーを利用するのもいいし、ベルリンの「トラビ・ミュージアム」や「東ドイツ・ミュージアム」で、オスタルギーの世界を追体験するのもおすすめだ。

参考:・Die Fahrzeug der DDR ドキュメント映像
・Der Osten auf vier Raedern 2011 RBB放送ドキュメント映像
・Trabant Heel出版社
・Maria Haendcke-Hoppe: Privatwirtschft in der DDR

2017年6月9日(JAFメディアワークス IT Media部 荒井 剛)

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