60年代の東ドイツ時代の信号機が、ユニークなグッズになって大人気!
パークブログの読者には、運転や標識に詳しい方も多いと思う。そこでクイズをひとつ。「アンペルマン」ってなんだか知ってる?
アンペルマンとは、旧東ドイツの歩行者用信号機や、信号機の表示部分で “止まれ” 、 “進め” を示すキャラクターのことである。このアンペルマン、ユニークなデザインと、東西ドイツ統一のシンボルとして欧州では有名なのだが、日本ではまだまだ知る人が少ない存在。でも、その三頭身の愛くるしい姿はひと目見たら忘れられない魅力があり、きっと日本でも人気キャラとしてブレークする日がくるはず…………ということで、一足先にブーム直前?のアンペルマンの魅力を紹介したいと思う。
ベルリンの名所ブランデンブルク門に佇む「アンペルマン」グッズのボディスポンジ ©Ampelmann
現在のベルリンでは、写真上段の旧東ドイツのアンペルマンと、下段の旧西ドイツの歩行者用信号機の2種類があるが、圧倒的にアンペルマンの方が存在感があり、魅力がある。単純なピクトグラムだが、デザインの力を感じさせてくれる好例だ。
上段が旧東ドイツの信号(アンペルマン)、下段が旧西ドイツの信号。©dpa
アンペルマンは、1961年に旧東ドイツ時代の交通心理学者カール・ペグラウによって生み出された。当時、60年代における自動車の大衆化によって交通量が増加し、交通事故が増加していた。そこで視認性に優れたデザインの歩行者用信号として、アンペルマンが考案されたのである。
アンペルマンをデザインした交通心理学者カール・ペグラウ。©picture-alliance/ dpa Photographer: Stephanie Pilick
帽子をかぶった三頭身のピクトグラムは、光る面積も大きく、体全体で感情豊かに、「停止」と「歩行」を表現している。
©dpa
アンペルマンの優れた点は、絵文字として、子供や視覚障害者、海外旅行者など誰にでも明確に認識できるという機能面だけでなく、表情や身振りによって人(特に子供)の心に印象づける親しみやすさにあると言えるだろう。
東西統一のシンボルへ
1990年の東西ドイツ統合は、結果的には東ドイツが西ドイツに吸収されるという形で行われた。それによってほとんどの東ドイツの製品、生活用品、デザインなどは消滅する運命を辿っていった。
東西を分断していた壁。© picture alliance / Arco Images foto: P. Schickert
信号機も例外ではない。旧東ベルリンにあったアンペルマンは撤去され、どんどん旧西ベルリンの信号機に置き換えられていった。これを残念に思ったデザイナーのマルコス・ヘックハウゼンは、撤去されたアンペルマンを引き取ってライトを作ったところ、その反響が大きく、ベルリン市民を中心としたドイツ国内で、アンペルマンを残そうという復活運動が始まったという。
この運動のすばらしいところは、統合直後に様々な問題が生じ、関係性に亀裂が生じていた旧東ベルリンと旧西ベルリンの市民が一緒になって復活運動を行ったことだ。1997年にこの運動は見事、実を結び、アンペルマンは再びベルリンの交差点に復活することになる。アンペルマンが、東西ドイツ統合のシンボルといわれるのはこういった理由からである。
楽しいグッズが次々と
1999年にマルコス・ヘックハウゼンは、アンペルマン・コレクションを発表する。アンペルマンをモチーフとしたTシャツ、カバン、グミキャンディーなどユニークな製品を次々と発表するやいなや爆発的な人気を博し、今やベルリンの代表的なお土産のひとつと言えるほどである。
Tシャツ ©Ampelmann
ベルリン土産として人気のエコバック ©Ampelmann
ランチボックス ©Ampelmann
アンペルマン商品の人気はドイツや各国へと飛び火し、日本でも白金高輪にあるショップとネット上でも購入することができる(記事最後にリンクあり)。
アンペルマンが、信号として生き残ることになったのも、統一の象徴的存在となったのも、グッズへと発展していったのも、人の心に訴えるキャラとしてのデザインの力が大きいように思える。
生みの親である交通心理学者カール・ペグラウの意思を受け継ぎ、アンペルマンはリフレクター、自転車用ズボンクリップや交通安全ベストなど、様々な交通安全商品も発売している。
子供自転車用の旗。©Ampelmann
リフレクター効果がついた交通安全ベスト。©Ampelmann
ベルリンで起こったアンペルマンという交通安全への願いは、さまざまに姿を変え、世界へと輪を広げている。日本でも、もっともっと知られてほしいものだ。
2017年5月23日(JAFメディアワークス IT Media部 荒井 剛)