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道路・交通最終更新日:2023.06.16 公開日:2021.09.10

渋滞イライラ度はかつての100分の1に!? 日本の渋滞問題、実は大幅改善されていた?

かつて「世界最悪」とさえ言われていた日本の交通渋滞。あれから30年でどう変わった?時代とともに変遷してきた道路事情について、交通ジャーナリストの清水草一氏が解説します。

文=清水草一

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渋滞イライラ度はかつての100分の1に!? 日本の渋滞問題、実は大幅改善されていた?

あなたは本物の渋滞を知らない!

この世に交通渋滞ほどイライラするものはない。

私は自由業ということもあり、普段行列に並ぶことがほとんどない。せいぜいコンビニのレジで並ぶ程度だ。行列に並んでまで何かを食べることも絶無。クルマが仕事だから電車にも滅多に乗らない。つまり渋滞は、私の人生においてダントツにイライラする存在なのである。

「渋滞ってそんなにイライラします?」と、疑問を抱く方もいるだろう。確かに、いつもラーメン屋の行列に並んでいれば、多少の渋滞など大したことはないと感じるかもしれない。しかし私は、あえてそういう方に言いたい。「あなたは本物の渋滞を知らない!」と。

日本の渋滞がピークに達したのは、約30年前のバブル期だ。首都高では平成2年(1990年)がその頂点だった。日経平均株価が3万8957円の史上最高値を付けた翌年である。

現在の首都高の渋滞量は、当時の3分の1程度になっている。いや、感覚的にはもっと減っている。なぜなら近年の首都高の渋滞は、朝夕ピーク時に集中して発生し、その他の時間帯はかなりスイスイ流れるので、避けようと思えば避けることができるからだ。首都高の渋滞がもっとも激しくなるのは、夕方17時から19時あたりだが、20時にはもうほとんど解消してしまっている。

三宅坂トンネル付近の首都高速道路の夜景。1989年7月1日撮影(写真提供=東京都)

三宅坂トンネル付近の首都高速道路の夜景。1989年7月1日撮影(写真提供=東京都)

1990年12月3日に撮影された首都高速の小菅ジャンクション付近。(写真提供=東京都)

1990年12月3日に撮影された首都高速の小菅ジャンクション付近。(写真提供=東京都)

渋滞問題が大幅に改善できた理由

バブル期はそうは行かなかった。早朝始まった渋滞が延々夜中まで続き、ようやくクルマが流れるようになるのは23時くらいだった。日によっては工事渋滞も重なって、夜中の2時まで渋滞していた。それはもう、年中泥んこの田んぼの中で泳いでいるような感覚だった。

東名や中央道などの、週末の行楽渋滞も凄まじかった。渋滞距離も長かったが、それよりも渋滞中の速度が現在よりはるかに遅かった。渋滞のつらさは渋滞距離ではない。道路交通情報はたいてい渋滞距離しか言わないが、重要なのは通過時間と通過速度なのだ。

バブル期は、東名上りが綾瀬バス停を先頭に50km渋滞すると、下手すれば通過に4時間かかった。私は富士スピードウェイから東京の自宅まで6時間半かかったことがあるが、当時の渋滞内の平均速度は、10km/hくらいまで落ちることがよくあった。そういう状態だと、感覚的には「ほとんど動かない!」というものになる。

現在は、東名上りが50km渋滞しても、通過には2時間もかからない。平均速度は25km/h以上出る。これくらいの速度だと、停止することはあまりなく、ズルズルと動き続けている。平均速度10km/hに比べると、精神的には10倍くらいラクだ。

なぜこんなに改善したかというと、ハード面での渋滞対策が進捗したからである。本線が拡幅されたり、ボトルネック対策によって渋滞ポイントに付加車線が設置されたり、ETCの普及によって料金所渋滞が消滅したりした。相変わらず渋滞は消えてはいないが、その中身は大幅に改善されている。

首都高でもC2(中央環状線)が全線開通するなど、抜本的なネットワークの増強が実現した。本当に夢のようだ。

なにしろ私は渋滞研究家を自称しているくらいで、そのあたりに関しては、おそらく日本で一番詳しい。海外の高速道路も約20か国で運転しているが、現在の首都圏の高速道路の渋滞は、先進国の巨大都市としておおむね平均的なレベルにまで改善されている。30年前は「世界最悪」とさえ言われていたのだから隔世の感だ。

しかも現在は、正確な渋滞情報があらゆるメディアから取得できる。グーグルマップの渋滞情報なんて、神の視点そのものだ。

バブル期には、そんなものは影も形もなかった。頼りは高速道路上の電光掲示板と、ラジオの交通情報だけだった。どっちもぜんぜんアテにならないから、先が見えずイライラは10倍増になった。渋滞内の速度の遅さと情報の乏しさを掛け合わせると、イライラ度は現在の100倍! 本当に気が狂いそうになった。

あまりにもイライラしたがゆえに、私は渋滞を研究するようになり、なんとか解決策はないものかと熟慮を重ね、具体策を提案するようになった。首都高C2板橋-熊野町間の拡幅など、私の提案(C2の開通前から提案していたのだから我ながら涙が出る)が実現した区間がいくつかある。イライラも時には役に立つということか。

渋滞イライラ度は現在の100倍!? 日本の渋滞問題、実は大幅改善されていた!

道路交通情報で重要なのは、距離ではなく通過時間と通過速度である

渋滞対策に切り札はあるのか?

しかし、渋滞はもっと減ってほしい。もっと減らせる策はないか?

日本の高速道路建設は間もなく終わる。ハード面の充実はそろそろ終点だ。となると残る策は交通需要マネジメントのみ。つまり、先般の東京オリパラにおける首都高のマイカー1000円上乗せ&深夜割引のような、日別/時間帯別の変動料金制である。

国交省は先般、ついにその実現に向けて動き出した。これが渋滞対策最後の切り札なのである。ちなみに私はこれも10年以上前から提案している。つまり、私の手持ちのカードもそろそろ尽きる。渋滞研究家引退の日は近い。

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